直七大学19講_ 浄土真宗概要 ① 親鸞聖人を生菓子ワークショップで偲ぶ会 にあたり

9/14(土) は「親鸞聖人を生菓子ワークショップで偲ぶ会 https://www.facebook.com/events/495566911268792/ 」です。

① 影絵による親鸞聖人の生涯のお話のあと、
② 親鸞聖人にちなんだ生菓子を製作し、
③ お抹茶とともにいただきます。

影絵と生菓子を通して、仏教を味わうワークショップです。

 
イベントに先立ち、浄土真宗の歴史について、軽くふれたいと思います。(※ 間違いがありましたら、こちら https://naoshichi-kyoto.jp/form/contact までご連絡ください!)

 

◎浄土真宗とは

鎌倉時代に、親鸞聖人によって開かれた宗派。

主要な派である真宗10派には、本願寺派・大谷派・高田派・興正寺派・佛光寺派・木辺派・三門徒派・出雲路派・山元派・誠照寺派があります。

 

◎ 親鸞聖人、誕生と両親の死

1173年、親鸞は、貴族の家柄である父 藤原(日野)有範と、源氏の流れをくむ母 吉光御前(きっこうごぜん)の間に生まれ、幼名を「松若丸(まつわかまる)」といいました。

しかし父は4歳、母は8歳のとき亡くなります。

 

◎ 親鸞聖人、法然上人の元へ

両親の死により親鸞は、死について考えた末、仏道を志します。

9歳で出家し、比叡山に登り天台を学び、29歳で真宗の悟りを求め、京都六角堂へ百日参籠(さんろう:一定期間こもって修行)します。

その後、ただひたすら念仏を唱える「専修念仏」を説く、法然上人の元へ行かれました。

 

◎ 親鸞聖人、流罪

1207年、念仏停止のお達しにより、法然は土佐へ流罪となります。

同時に親鸞も還俗(げんぞく:僧侶を捨て俗人に戻る)され、藤井善信という俗名で、越後の国府(こくふ:今でいう県庁所在地)へ流されました。

その越後の地で恵信尼(えしんに)と結婚し、七人の子供を授かります。

 

◎ 親鸞聖人、流罪赦免

流罪赦免となった1214年、42歳のときから、妻子とともに信濃・上野・常陸・下野を回られます。

その道中は、誰にでも同朋同行(どうぼう:志を同じくする友、どうぎょう:行を共に行う友)として、法を説かれました。

 

◎ 教行信証

東国で過ごした約20年の間に「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の大半を書き、京都に戻った60歳頃、完成されます。

この教行信証は全6巻からなり、浄土真宗の立教開宗(りっきょうかいしゅう:教えを立てて宗派を開く)における根本聖典といわれています。

 

◎ 浄土和讃 高僧和讃

親鸞の著には、他に「浄土和讃」「高僧和讃」などがあります。

 

◎ 親鸞聖人の子、四男三女

親鸞には「範意、小黒女房、善鸞、明信、有房、高野禅尼、覚信尼」七人の子供がいました。

 

◎ 善鸞

善鸞(ぜんらん)とは、親鸞の長子。

親鸞の使者として関東布教に努めたが「自分だけが真実を父親鸞より受けた」と称して誤った信心(しんじん:(別記事で書きます))を説き、門弟との間で裁判沙汰となりました。

これにより親鸞は、善鸞と親子の仲を絶ちます。

 

◎ 親鸞聖人、お浄土へ

京都に戻って約30年後の1263年11月28日、親鸞は90歳で亡くなりました。

浄土真宗では「死ぬ=お浄土に生まれる」と捉えます。

 
次回「浄土真宗概要 ②」は、「◎ 親鸞聖人の門弟」に続きます。

 
合掌
直七法衣店 四代目 川勝顕悟

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● 9/14(土)親鸞聖人を生菓子ワークショップで偲ぶ会
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