直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
クイズ:聖徳太子が袈裟を受持し、経典を講説した際に感得した「天雨宝華(ホウケ)」の奇瑞は、主に何を表す証とされていますか?
- 国家の安寧
- 仏法流通の開始
- 聖徳太子の長寿
原文
日本国には、聖徳太子、袈裟を受持し、法華勝鬘(ショウマン)等の諸経講説のとき、天雨宝華(ホウケ)の奇瑞を感得す。それよりこのかた、仏法わがくにに流通(ルズウ)せり。
天下(テンゲ)の摂籙(ショウロク)なりといへども、すなはち人天の導師なり。ほとけのつかひとして、衆生の父母(ブモ)なり。
いまわがくに、袈裟の体色量ともに訛謬(カビュウ)せりといへども、袈裟の名字を見聞する、ただこれ聖徳太子の御ちからなり。
そのとき、邪をくだき正(ショウ)をたてずば、今日かなしむべし。のちに聖武皇帝、また袈裟を受持し、菩薩戒をうけまします。
しかあればすなはち、たとひ帝位なりとも、たとひ臣下なりとも、いそぎ袈裟を受持し、菩薩戒をうくべし。人身(ニンシン)の慶幸、これよりもすぐれたるあるべからず。
現代語訳
日本国においては、聖徳太子が袈裟を身に着け、『法華経』や『勝鬘経』などの経典を講義された際、天から宝の花が降るというめでたい奇瑞を得られました。それ以来、仏法がこの国に広まりました。
(聖徳太子は)世俗の君主という地位(天下の摂籙)にありましたが、同時に人間界や天上界の導師であり、仏の使いとして、すべての生きものの親のような存在でした。
現在、我が国では、袈裟の形、色、大きさ(体色量)が誤って伝えられている状態ではありますが、それでも袈裟という名前を見聞きすることができているのは、ひとえに聖徳太子の御力によるものです。
もしあの時、邪なものを打ち破り、正しい教えを確立していなければ、今日の私たちは悲しむべき事態になっていたでしょう。後に聖武天皇も、また袈裟を受持し、菩薩戒を受けられました。
ですから、たとえ天皇の地位にある者であっても、たとえ臣下であっても、急いで袈裟を身に着け、菩薩戒を受けるべきです。人間として生まれて得られる喜びとして、これ以上に優れているものはありません。
語句説明
- 袈裟(けさ):仏弟子であることの目印(標幟)とされる衣。仏の身体、仏の心とも称され、解脱服、福田衣など多くの別名を持つ
- 法華勝鬘(ほっけしょうまん):仏教の経典である『法華経』と『勝鬘経』のこと
- 天雨宝華(てんうほうけ):天から宝の花が降るという、めでたいしるし(奇瑞)
- 摂籙(ショウロク):世俗の権力や、君主の位
- 体色量(たいしきりょう):袈裟に用いられる布の材質(体)、色、大きさ(量)の三要素
- 菩薩戒(ぼさつかい):大乗仏教における戒律。出家者だけでなく、在家の者も受持することが許されている
詳細な解説
袈裟は「仏の心」そのもの
袈裟は、単に修行者の衣というだけでなく、諸仏が敬い帰依されるものであり、仏の身体であり、仏の心そのものであるとされています。そのため、煩悩から解脱させる解脱服、福をもたらす福田衣、魔を降す勝幡衣など、数多くの尊い呼び名があります。
袈裟を受持する功徳は計り知れず、たとえ戯れや自己の利益のために身に着けたとしても、必ず仏道を悟る因縁となるのです。
日本における袈裟の「正伝」と偉大な在家者
聖徳太子は、世俗の帝王の地位(天下の摂籙)にありながら、仏の教えを広める人天の導師として活動しました。太子が袈裟を受持し、経典を講説したことにより、仏法が日本に広まることになりました。
しかし、日本の仏教界では、袈裟の体色量(布の材質、色、大きさ)に関する正しい伝承が「訛謬(カビュウ)」、つまり誤って伝えられていることが指摘されています。
本来、袈裟の材料は糞掃衣(ふんぞうえ)、すなわち捨てられたぼろ布を拾い集めたものを最上の清浄なものとしますが、辺境の国である日本では、その正しい作法や精神性が失われがちであったのです。
それにもかかわらず、袈裟という名前が現代にまで見聞きされていること自体が、聖徳太子の功績によるものだと讃えられています。また、後の聖武天皇も袈裟を受持し、菩薩戒を受けたという行跡は、中国の梁の武帝や唐の代宗ら帝王が袈裟と菩薩戒を受持した「勝れた行跡」と同様に、在家者にとっての模範とされています。
最高の慶幸としての受持
仏祖の正しい伝統の教えでは、袈裟を受けることと菩薩戒を受けることは、帝位の者であれ臣下であれ、急いで行うべき最優先事項とされます。
袈裟を一度でも身体にまとい、わずかの間でも護持することは、無上の悟りを成就する護身の札となります。この功徳は、修行者個人の努力(猛利恆修)によるものではなく、袈裟そのものが具える不思議な神力によるものだと説かれています。袈裟の功徳は、煩悩の毒矢も害することのできない金剛の甲冑のようであり、菩提(悟り)の芽を成長させる良田に譬えられます。
私たちがこの仏法に巡り合い、袈裟を受持し、護持できることは、過去世の善根(宿善)のおかげであり、人身として生まれて得られる喜びとして、これよりも優れたものはありません。
問いかけとまとめ
聖徳太子と聖武天皇が模範を示したように、袈裟と菩薩戒の受持は、世俗の地位や環境を超えて、私たちを仏道の真髄へと導くものです。
私たちは、袈裟という「形」を通して、仏祖から連綿と受け継がれてきた真実の法を身にまとうことができます。この「人身の慶幸」を深く心に刻み、たとえ僅かな時間であっても袈裟を敬い護持する心を大切にすることが、悟りの道への確かな一歩となるでしょう。
この袈裟の教えは、あたかも羅針盤のように、私たちが煩悩という大海原を渡る際に、どの地位や境遇にあっても、常に正しい方向へと導いてくれるのです。
クイズの答え
B. 仏法流通の開始
解説:聖徳太子が袈裟を受持し経を講説した際に天雨宝華の奇瑞を感得した出来事以降、仏法が日本国に流通した(広まった)と記されています。

