大切な方の御命日にちなみ、おつとめをさせていただくご法事。亡き人のお姿を偲ばせていただくとともに、ご仏縁に出会わせていただく大切な仏事です。
時として常例法座よりも短い時間で、そして簡潔にご法義をお伝えさせていただく必要もありますが、僧侶の方々はどういう内容をお話されているのでしょうか?
今回は、浄土真宗本願寺派 北海道玄誓寺の上本周作さんをゲストに迎え、7回忌を想定して法事の法話を行っていただいたあと、法話についてみなさんと一緒に考えました。
上本周作さん
1984年7月29日生まれ。龍谷大学大学院 文学研究科 真宗学専攻。
活動ネーム”しゅうさん”として、YouTubeやInstagramにて仏教、お寺の話をするほか、TikTokのアプリでもショート動画を使ってお話を配信。浄土真宗の伝統的な法話から、現代問題に沿った内容の法話まで「楽しくハッとして、ホッとする」をモットーに展開。本願寺派布教使、本願寺派学階 輔教、スポーツ心理士。
上本さんが実践されている法事の内容は?
今回は、実際に上本さんが先日の7回忌法要で実践されたときのお話を共有していただきました。上本さんの場合、法事は全体で1時間弱ぐらいかけて実施されます。
約15分前にご門徒のご自宅に到着し、皆さまにご挨拶をして、衣体を替え、その後に法事へ臨まれます。
具体的な法事の流れは以下の通り。
最初に浄土真宗本願寺派であるということや、お焼香の説明を欠かさず行われています。
また、おつとめを仏説阿弥陀経と讃仏偈の二本立てにして、仏説阿弥陀経ではお焼香をしていただき、讃仏偈ではお教本を配り一緒におつとめしていただく構成としているのも特徴的ですね。
法話の導入で気をつけていることとは?
おつとめが終わったあとは法話へと続きます。はじめに「聴聞の心得」を必ず唱和してから法話に臨まれます。
聴聞の心得とは…浄土真宗のみ教えを聞かせていただく際に大切にするべき3つの信条
一、この度のこのご縁は 初事と思うべし
一、この度のこのご縁は 我一人の為と思うべし
一、この度のこのご縁は 今生最後と思うべし
その後、導入の部分では、次の3つをお伝えします。
①足を崩していただいてもよいこと
②(もしあれば)亡き方との思い出話
③法事の意味
特に、法事の意味についてはなるべく丁寧に伝えるよう心がけられています。
その後、
・みなさんは悪人ですか?
・今から話させていただく話を聞いて同じ気持ちでいられますか?
という問いかけをしたうえで、
・悪人かどうかというと悪人ではない。悪人と言い切れないのが私達の姿
という、一般的な価値観を共有します。
争いが絶えない家と笑いが絶えない家
続けて、法話の本題へと入っていきます。上本さんは、よく「争いが絶えない家と笑いが絶えない家」のお話をされるそうです。
「争いが絶えない家と笑いが絶えない家」という話をご存知でしょうか?
隣同士にあるAさんの家とBさんの家があり、Aさんの家は争いが絶えず、Bさんの家は笑顔が絶えないという内容のものです。
それぞれ、争いが絶えないのと笑いが絶えないのには理由があります。
たとえば、父が廊下で拭き掃除をしていたところ、母がバケツを蹴飛ばして水浸しにしてしまうという出来事が起こったとします。
Aさんの家は父親が「なんでそんなことをするんだ」と怒り、母も「そんなところにバケツを置いている方が悪い」と怒り、2階にいた子どもも「うるさい」と怒ります。
ところがBさんの家では、同じ出来事があっても父は「大丈夫?こんなところにバケツを置いていた自分が悪かった」と母を心配しつつ我が身を振り返り、母も「慌ててバケツを蹴ってしまった」と反省し、子どもも「大丈夫?僕が母を呼んでしまったから」と父と同じように心配しつつ、我が身を振り返ります。
Aさんの家ではその後も3人は喧嘩を続け、Bさんの家では3人で溢れた水を拭いて笑いながらお茶をした……と続きます。
笑いが絶えず、あまりにも平和なBさんの家を見て、不思議に思ったAさんはBさんに「なんで笑い声が絶えないのですか?」と訪ねたところ、Bさんは「秘訣って言われても…強いて言うならみんな悪人だらけだから。」と困惑しつつ答えます。
すると、Aさんは「もう結構です」とやっぱり怒って帰ってしまった…というお話です。
この話における「善人」「悪人」とはどういう意味でしょうか?
・善人ばかりの家(Aさんの家)→「こぼした」、「ぶつかった」、「あなたが悪い」という、相手を責める「他責思考」。自分の正義を振りかざして他人を裁く家。
・悪人ばかりの家(Bさんの家)→自分が悪かったという、素直に悪かったと頭を下げていく、「自分が悪かった」と我が身を振り返る「悪人」ばかりの家。
このように、上本さんは法話の中で説明されました。
亡き人のご縁があったからこそ
このAさんの家とBさんの家のお話を一通り終えたあと、「この話を聞いてどうでしょうか?」と問いかけ、合法(がっぽう)へと入ります。上本さん自身も「お坊さんだから悪人だと胸を張って言えない。でもなかなか気がつかない。」というように、”善人”の生き方になる我が身を振り返るとのこと。
上本さんは僧侶であるとともに、2児の父でもあられます。ある法事があった日の朝も、子どもたちに喧嘩で起こされました。「もう少し寝たいという自分中心の物差しで子どもたちをさばいてしまった」と、自分の物差しで裁いてしまった「善人」であることに気付かされたと。
そして、次のお話で締めくくられました。
“僕も含めて大事なご縁だと触れられるのは、亡き人のご縁があったからこそ。法事を通して、その大事な教えに触れることができたのではないでしょうか。
日々の暮らしではありえないご縁だからこそ「有り難い」のです。そして、そのご縁はまさにいま、亡きお方が仏となって働いてくださっている証でもあります。
「いつもいっしょにいるよ」どうかどうか法に触れるためのご縁を大切にしていきましょう。”
最後に、御文章の拝読へと続きます。(亡きお方と生前での関係が深かった場合は、合法のところでその方との思い出を織り交ぜることもあるそうです)
法事を通して、善悪を考えるきっかけに
上本さんのほか、同じ北海道教区に所属する僧侶の名和康成さん、永田弘彰さん、石田えり子さんにもご登壇いただき、また視聴者の皆さんのコメントも交えて、上本さんがお話しされた法事や法話の内容についてディスカッションを行いました。
上本さんの法話の発表の後、参加者の皆さんから次のような感想をいただきました。
・「聞いたあとの気持ちの変化とともに味わっていただくというのが、法話の趣旨を感じ取ってもらう意味ですごく温かいなと思って心に残った」
・「善人は良いイメージがあると思う。真宗では聞けば聞くほど価値観がひっくり返っていく。善人が善人ぶる。悪人が悪人ぶる。そこにメッセージ性があるのではないか。」
・「『自分のことを思ってくれていること』がお話から感じられるのはご法事のご縁ならではかなと思う。」
・「キャッチボールしている感じが伝わる」
また、一般的な社会で言われる善悪と、浄土真宗で言われる善悪について議論が展開される場面も。「正義の反対は何か?」、「戦争ってなんで怖いかわかるか?」といったより踏み込んだ話し合いも行われました。こうした内容について考えるのも、大切なことではないでしょうか。
まとめ
上本さんいわく、法話が終わったあと、「いやー、悪人になれていないわ」という感想や「お兄ちゃんは善人だよねー」というツッコミが家族間で起こることもあるそうです。
上本さんの法話の内容が伝わり、考えるきっかけになっていることが窺えますね。そしてそれは、亡き人がご縁となり、阿弥陀様のおはたらきが至り届いている何よりの証拠ではないでしょうか。
上本さん、登壇いただいた僧侶のみなさん、ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。