仏の身体は「サイズなし」? 距離や次元を超越する仏身の不可思議な真実

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:
梵天王(ボンノウ)は高い天上にいながら仏の頭頂を見ることができず、神通力に優れた仏弟子である目連(モクレン)は遠い世界に行っても仏の声の届く範囲を極められませんでした。このエピソードが示す、仏の不可思議な功徳とは何でしょうか?

  1. 仏身は天上の存在や神通力者によって、そのサイズが決められている
  2. 仏は、遠近に関わらず、私たち凡夫には見聞できないように身を隠している
  3. 仏を見聞できることは、距離(遠近)に関係なく平等であり、まことに不可思議である

原文

仏身の長短にあらざる道理、あきらかに観見し、決断し、照了し、警察(キョウサツ)すべきなり。

梵王(ボンノウ)のたかく色界にある、その仏頂をみたてまつらず。目連はるかに光明幡(コウミョウバン)世界にいたる、その仏声(ブッショウ)をきはめず。
遠近(オンゴン)の見聞(ケンモン)ひとし、まことに不可思議なるものなり。

如来の一切の功徳、みなかくのごとし。この功徳を念じたてまつるべし。


現代語訳

このように、仏の身体は長くも短くもないという道理を、はっきりと見極め、判断し、了解して、注意深く調べるべきです。

梵天王は、天上の高い場所に居ながら、仏の頭頂を見ることができませんでした。仏弟子の目連は、遙か遠くの光明幡世界まで行きましたが、仏の声の届く所を極めることができませんでした。このように、遠くであっても近くであっても、仏を見聞できることは同じであり、まことに不思議なことです。

如来(仏)のすべての功徳も、皆この道理の通りであります。この不可思議な功徳を心に念じなさい。


語句説明

  • 仏身(ぶっしん): 仏の身体。ここでは宇宙の真実そのものとしての仏のあり方
  • 警察(キョウサツ): 注意深く調べること、深く考察すること
  • 梵王(ボンノウ): 梵天王。欲界を超えた高い天界(色界)に住む神
  • 色界(シキカイ): 欲望はないが物質的な形を持つ世界
  • 目連(モクレン): 釈迦の十大弟子の一人。神通力に優れる
  • 光明幡世界(コウミョウバンセカイ): はるか遠方に存在する世界
  • 如来(にょらい): 仏の尊称の一つ

詳細な解説

仏身は「サイズフリー」:相対性を超える真理

私たちが生きる世間では、すべてのものが「大きさ」「長さ」「重さ」といった基準で測られ、評価されます。しかし、仏教の真理、特に禅の教えでは、仏の世界や衆生(しゅじょう)の世界は「有る」「無い」という相対的な区別に関わるものではないとされます。

仏の身体(仏身)が「長短にあらざる道理」を説くのは、この絶対的な真理を理解させるためです。例えば、過去の迦葉仏(かしょうぶつ)の袈裟を現在の釈迦牟尼仏が着ても、また釈迦牟尼仏の袈裟を未来の弥勒仏(みろくぶつ)が着ても、サイズがぴったり合うとされています。

これは、それぞれの仏の生きていた時代の寿命(八万歳から百歳まで減少したとされる)や、それに伴う身体の大きさの変化(長短)とは無関係に、袈裟自体が仏法そのものであり、仏の悟りの真実が具現化しているからです。

神通力も及ばない仏の広大さ

本文では、仏身の不可思議さを証明するために、二つの例が挙げられています。

一つ目は、梵天王の例です。梵天王は、物質的な世界(色界)の中でも最高の場所に位置する存在ですが、仏の頭頂を完全に見ることができませんでした。これは、たとえ神々であっても、物理的な空間や次元の頂点に立っても、仏の真実の姿を捉えることは不可能であることを示唆しています。

二つ目は、目連の例です。目連は釈迦の十大弟子の中でも神通力に最も優れていたにもかかわらず、遥か遠方の「光明幡世界」にまで行ったにもかかわらず、仏の声が届く範囲(仏声)を極めることができませんでした。

この二つの例が示すのは、仏の功徳や真理は、人間の知識や神通力といった有限な能力を超越しているということです。そして、「遠近の見聞ひとし」という言葉は、仏の真理は、私たちの距離や状況に関わらず、平等に現れているという不可思議さを強調しています。

すべての功徳を心に念じること

如来のすべての功徳は、この仏身の性質と同じように不可思議です。この教えは、修行者が仏道に励むとき、仏は自分の外にあるのではなく、修行者が精進するその瞬間に現成するという見方を教えます。

つまり、仏の功徳を心に念じることは、形や場所に囚われず、仏の真理が常に自分と共にあり、普遍的であると信じることに他なりません。


まとめ

私たちは、何かを理解しようとする時、つい「大きさ」や「距離」といった相対的な比較を持ち出しがちです。しかし、仏の教えは、この物理的な概念を超越した絶対的な真実があることを示してくれます。

梵天王や目連でさえ測り知れなかった仏の不可思議な功徳。私たちは、この功徳を心に念じることで、日々の生活の中でも、距離や大小といった迷いの枠を越え、真の安らぎ(解脱)へと向かうことができるのではないでしょうか。

この不可思議な功徳を念じること、それは、常に目の前の修行や行いを大切にし、仏法を護持してきた祖師たちの恩に報いる生き方にもつながります。あなたが今日踏み出した一歩は、仏の広大な功徳の中にあります。


クイズの答え

正解:C. 遠近に関わらず仏を見聞できること

解説:
梵王が仏の頭頂を見られず、目連が仏声の届く範囲を極められなかったことは、仏の不可思議な性質を示す具体的な事例ですが、その後に「遠近の見聞ひとし、まことに不可思議なるものなり」と続くことで、仏の功徳が場所や距離といった条件に左右されず、誰に対しても平等に現れていることが、最も重要な不可思議な真実として説かれています。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


法衣袈裟のお悩み解決!
法衣袈裟コンシェルジュ 四代目ナオシチに
いつでもなんなりとご相談ください
合掌
「袈裟功徳」を読む袈裟から仏教を学ぶ直七ブログコラム
ナオシチブログ