直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
クイズ: 過去の仏である迦葉仏の袈裟を、現在の釈迦牟尼仏が着たとき、どうなったと伝えられているでしょうか?
- 釈迦牟尼仏は痩せ型だったので、迦葉仏の袈裟は長すぎたり広すぎたりした。
- 仏の身体は人間のサイズを超越しているため、長すぎることも広すぎることもなかった。
- 袈裟は仏具として大切に保管されたため、実際に着用されることはなかった。
原文
おほよそ、八万歳より百歳にいたるまで、寿命の増減にしたがうて、身量の長短あり、八万歳と一百歳と、ことなることありといふ、また平等なるべしといふ。
そのなかに、平等なるべしといふを正伝とせり。仏と人と、身量はるかにことなり。人身(ニンジン)ははかりつべし、仏身はつひにはかるべからず。
このゆゑに、迦葉仏の袈裟、いま釈迦牟尼仏著(ヂャク)しましますに、長にあらず、ひろきにあらず。
今(コン)釈迦牟尼仏の袈裟、弥勒如来著しましますに、みじかきにあらず、せばきにあらず。
現代語訳と背景
およそ人の寿命は、過去の八万歳の時代から現在の百歳の時代に至るまで、寿命の増減に応じて身体の大きさも長短があるという説と、逆にすべて同じ(平等)だという説があります。 その中でも、人の身体の大きさは皆同じであるという説が、正しく伝えられた教えとされています。
しかし、仏と人とでは、身体の大きさがはるかに異なるものであり、人の身体は測ることができますが、仏の身体は究極的には測ることができません。
このことから、過去の迦葉仏(かしょうぶつ)の袈裟を、現在の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が身に着けても、長すぎることも広すぎることもありませんでした。また、現在の釈迦牟尼仏の袈裟を、未来の弥勒如来(みろくにょらい)が着ても、短すぎたり狭すぎたりすることもないのです。
語句説明
- 迦葉仏(かしょうぶつ):釈迦の前に世に出た仏。寿命が長かったとされる時代(二万歳頃)の仏
- 弥勒如来(みろくにょらい):釈迦の後に世に出るとされる未来の仏
- 身量:身体の大きさ、身長や体格
- 正伝:仏祖から嫡子へと正しく受け継がれた教えや伝統
- 仏身はつひにはかるべからず:仏の身体は、人間の尺度や思量では測り知ることができないということ
詳細な解説
仏と人の身体の決定的な違い
仏教の世界観では、人間の寿命は時代とともに変動するとされ、それに伴って身体のサイズも変わるという説がありましたが、ここでは人の身体のサイズは時代に関わらず平等であるという説が「正伝」とされています。しかし、この人の世の道理を超えた存在が「仏」です。
「人身(ニンジン)ははかりつべし、仏身はつひにはかるべからず」という言葉は、仏の身体は単なる肉体ではなく、宇宙の真実を人格化した存在であるという深い思想を示しています。仏は、修行者が仏道に励むとき、その時々に現れる(現成する)ものであり、具体的な「大きさ」や「形」といった相対的な制約を持ちません。
袈裟は「法」の象徴
この仏身の性質が、袈裟の不思議な力に直結しています。 袈裟は、古くから解脱服や福田衣、無相衣など、様々な尊い名前で呼ばれてきました。これは、袈裟が煩悩から解脱させる服、あるいは無上の悟り(無上菩提)を成就するための護身符子であり、仏の皮肉骨髄そのものであると信じられているからです。
つまり、袈裟は単なる「服」ではなく、仏の教え(法)の象徴なのです。
迦葉仏、釈迦牟尼仏、そして弥勒如来という三世の仏は、それぞれ異なる時代に現れ、人の身体の尺度で計れば体格が異なっていた可能性があります。
しかし、彼らが着用する袈裟は、その根源にある「法」が同じであるため、どの仏が着ても「長すぎず、広すぎず」、ぴったりと合致するのです。袈裟には、有限(有量)な布としての側面がありながらも、その本質は無限で姿形のないもの(無相)であるという二面性があります。
袈裟を身に着けることは、時代や体格を超えて、仏祖が代々相承してきた正伝の法を、自らが受け継ぐことを意味します。それは、個々の修行者の猛烈な精進の力(猛利恆修)によるのではなく、袈裟そのものが持つ不思議な神力によるものだとされています。袈裟の神力は、凡夫には計り知ることができないのです。 この教えは、仏の真理が、時の流れや物理的な制約といった相対的な世界を超越し、すべての人々、すべての仏に対して普遍的に適用されることを示しています。
問いかけとまとめ
仏の袈裟が時を超えてサイズフリーであるという事実は、真の教えや悟りは、私たちが日々悩む物質的な尺度や、個人の能力といった「サイズ」に縛られるものではない、ということを教えてくれます。
袈裟は、「動く寺院」とも言える法の象徴です。私たちはつい、自分の持つものや環境(所有・所住)が真実であると考えがちですが、大切なのは、そうした前世からの行いの影響を超えて、正しく伝えられた仏法に帰依することです。
袈裟の教えは、物理的な枠を超え、私たちが持つべき「心のサイズ」の普遍性と広大さを指し示しているのではないでしょうか。
クイズの答え
B. 仏の身体は人間のサイズを超越しているため、長すぎることも広すぎることもなかった。
【解説】人の身体は測れますが、仏の身体(仏身)は測り知ることができません。迦葉仏(過去の仏)の袈裟は、釈迦牟尼仏(現在の仏)や未来の弥勒如来にも、長短・広狭なくぴったり合ったと伝えられています。これは、袈裟が単なる衣ではなく、時空を超えた仏法そのもの(仏身、仏心)を象徴しているからです。この功徳は、凡夫の思量を超えた不思議な力(神力)によるものです。

