市野智行編『曇鸞『浄土論註』の新研究』出版報告会レポート


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2024年3月30日、市野智行編『曇鸞『浄土論註』の新研究』が出版されました。

それを記念して市野先生をはじめ、本書の執筆・刊行に携わった藤村先生にもお越しいただき、中村先生、ナオシチを交えてシンポジウムを開催しました。今回は、そのレポートをお届けします。

『曇鸞『浄土論註』の新研究』

(引用:法蔵館ホームページ)

本書の構成は以下の通りです。執筆されたのは、市野智行先生、織田顕祐先生、藤村潔先生、黒田浩明先生、川口淳先生の5人です。本書は曇鸞『浄土論註』を中心に書かれています。

曇鸞(どんらん)・・・476年-542年、中国南北朝時代の僧であり、中国浄土教の開祖とされる。浄土宗では浄土五祖、浄土真宗では七高僧の一人とされる。『浄土論註』(正式名称は『無量寿経優婆提舎願生偈註』といい、『往生論註』とも呼ばれる)の著者。

曇鸞は、自力と他力を分けて仏教を考えた、仏教史でも大変重要な仏教者です。また、浄土論註は浄土真宗のみ教えを考えるうえでも非常に重要で、真宗研究でも研究が重ねられてきました。本書は、インドや中国そして日本において、中世から近代まで時空を超えて幅広く研究されてきたものを、最前線から改めて見直すものです。

序言 [市野智行]

還相回向研究史―変遷と論点の整理― [市野智行]
問題の所在
一 対象文献について
二 還相回向研究の変遷
三 還相回向に関する諸理解の整理
結論 還相回向研究の展望と課題

「回向」の成立背景と「普賢行」への深化――曇鸞の五念門を考えるために―― [織田顕祐]
問題の所在
一 施与から「回向」へ
二 回向から「普賢行」への深化
三 「仏力」と「法門」の大乗的意味
結論 『論註』の回向二相の意味

普賢行と曇鸞の往還回向 [織田顕祐]
問題の所在
一 世親『浄土論』における五念門と五門行
二 曇鸞の『浄土論』理解の中心
三 曇鸞における『無量寿経』第二十二願の問題(仏前普賢と仏後普賢)
四 往還回向に関する曇鸞と親鸞の相違
結論

仏典「解釈」とその可能性――曇鸞の『浄土論』註釈を通して―― [黒田浩明]
問題の所在
一 註釈書を研究する、ということ
二 曇鸞が独自に施設する一段について
三 難易二道判が『浄土論註』冒頭に配置される意図について
四 曇鸞の時代背景
五 八番問答にみる曇鸞の機根観
六 十念往生
七「覈求其本釈」の課題性と構成
八 文章構造と解釈――十門分科について――
九 仏道観の転換――五念配釈――
十 五念門と成上起下
結論

『浄土論註』の日本的展開――源信『往生要集』の五念門説から見えてくる思想史的背景を中心に――[藤村 潔]
問題の所在
一 『浄土論註』流伝とその展開――『往生要集』成立に至る思想史的背景に注目して――
二 三論学派における『浄土論註』の受容
三 天台学派と『浄土論註』
四 『往生要集』と世親の『浄土論』
五 源信における五念門説の変容――『浄土論註』の無引用から見えてくるもの――
結論

清沢満之の他力門哲学――曇鸞教学という視座から―― [川口 淳]
問題の所在
一 『論註』の思想基盤
二 『試稿』の仏教学的背景
三 有限と無限とは何か
四 語れない無限、語る無限
五 無限の擬人化――阿弥陀仏――
六 仏身論としての他力門哲学
七 主伴互具の浄土――浄土の荘厳――
八 還相回向についての寸考
結論

各論における有機的結合と今後の可能性 [藤村 潔]

編集後記 [市野智行]
執筆者一覧


市野先生の報告

きっかけは新型コロナウィルス感染症

はじめに、市野先生の報告です。市野先生はこれまで主に善導を中心に研究されていました。

市野:本書を刊行するきっかけになったのは新型コロナウィルスの蔓延でした。いわゆるコロナ禍で実際に顔を合わせて研究できなくなり、代わりにZoomというオンラインミーティングツールが普及。そんなとき、織田先生が声をかけてくださり、Zoomで打ち合わせを行いました。

2〜3回ほど話し合いを進めるなかで、真っ先に上がった課題が「回向」でした。「回向」とは、自分が行った善をめぐらし差し向けることです。その回向を親鸞は、如来の回向と受け取ります。如来の回向という着想を得た理由はなんだろう?ということを話し合いました。

「二種回向」という言葉もありますが、これは曇鸞の言葉でもあります。そして、曇鸞思想は親鸞にどれほどの影響を及ぼしているのでしょうか?あるいは曇鸞と親鸞の思想の違いはどこにあるのか?といったことを織田先生と2人で話し合うも、なんとなくの結論しか見い出せませんでした。

そこで、親鸞理解を深めるためにも『浄土論註』をしっかり読もう、ということで研究会が立ち上がったのです。同朋大学には仏教文化研究所が設置されており、兼ねてから東アジア思想の研究会がありました。その研究会を引き継ぐような形で行いました。

今回ご登壇いただいている藤村先生、織田先生、川口先生、黒田先生、私(市野先生)の5人で研究会を行い、浄土論註を読み進めました。その中で出てきた課題をそれぞれの執筆者が本書にまとめています。

新研究とは?

シンポジウムの様子

市野:さて、タイトルに「新研究」とありますが、「新」というのは殊更に新しい視点で浄土論註を読むというものではありません。むしろ、曇鸞研究の課題性のなかで、しっかりと浄土論註を敬虔な感情をもって読みたい、というのがこの研究の出発点です。

「敬虔」とは「一つのことに対して姿勢を正して謹んでいくさま」という意味です。

私たちは学びを進めていくと親鸞研究の視点を通して曇鸞の姿を観ていくようになってしまいます。ところが、知っていることの多い知識から曇鸞を観ていくと「読みすぎてしまう」んですよね。

そうではなく、一度頭の中をまっさらにして、敬虔な感情を持ちながら読み進めるようにしました。本書は、その中で出てきた課題を整理するという内容になっており、そういう意味での「新研究」となっています。

稲葉秀賢先生は「浄土真宗に対する敬虔な思いを持ち続けることが基礎だ」とおっしゃいます。身を持って学んでいくことでむしろ無限に問いが出てくる。敬虔に学ぶことで無限に問いが出てくる。そして、その問いをお聖教から無限に教えていただくのです。

ちなみに、5人はみな愛知県出身です。愛知県は三河地方を中心に浄土真宗の寺院が多く、ご門徒の方々とのふれあいも多い地域です。よって、研究も単なる机上の空論ではなく、現場感覚を持ちながらより一層そのことを確かめられる場所でもあります。研究者でありながらいち僧侶でもあるということを否が応でも考えさせられる場所です。

本書は、東京とも京都とも違う、愛知独特の風土の上で書き上げられた一冊であることも感じ取っていただけると嬉しいです。

如来の回向とは?

市野先生が担当したのは「還相回向研究史」。内容は表題の通り、還相回向の研究史を取り扱ったものです。還相回向については、今日ではどういう形で受け取っていいのか、そしてどこから着手したらよいかが判断できないぐらい複雑化しているので、一度きちんと整理されました。

市野:本研究において私が影響を与えられたのが織田先生と藤原先生です。藤原先生は回向を単なる親鸞の理解だけでなく、寺川先生の理解、曽我量深先生や江戸教学の理解を丁寧に整理してくださっています。

私はそれを引き継ぎ、寺川先生以降の1970年以降の研究が特に大谷派の中でどういう形で展開しているのかを取り扱っています。寺川先生が還相と往相の回向があることを提起してくださったことが研究史上での大きな分岐点になっています。それ以前は回向は一つのものと理解されていました。

藤場俊基先生はこれを「天地がひっくり返るような説」と表現されるくらい大きなことです。長い研究史の中で、様々な先生が沿う形で展開したり、あるいは反論したりされました。本書ではそうしたこともまとめています。

また、本書をまとめる過程で強く感じたのは「回向」を語るときの、私たちの立ち位置の重要性です。回向とは「如来の働き」です。そして、そうした肉眼では認識できないものを言葉にするとき、働きを受けるわたしたちの立場を明確にしないと、回向を表現できないのではないでしょうか。

働きが成就して我々は働きと認識することができるのであり、そういう意味では如来の回向をどう捉えるのかというのはすごく大きな課題です。「働きが私に届いているとはどういうことなのか?」といったことを、みなさんと一緒に考えたいと思います。

藤村先生の報告

続けて、「『浄土論註』の日本的展開――源信『往生要集』の五念門説から見えてくる思想史的背景を中心に――」を執筆された藤村先生の報告です。

曇鸞教学が日本に伝来するまでの通史を明らかに

藤村:私が本論を執筆したきっかけは、さきほど市野先生がおっしゃった研究会の中で、織田先生より源信の往生要集の問題を取り上げ、その中で曇鸞の浄土論註がどの程度理解されているかを研究してみないか?と提案されたことです。

正直なところ、私は曇鸞の浄土論註については知っている程度で、研究にはあまり力を入れていませんでした。曇鸞腹・善導腹という言葉があります。要は、曇鸞教学を通して親鸞にアプローチするか、善導教学を通して親鸞にアプローチするかの考え方の違いです。こうした手法に疑問を持ったこともあり、浄土論註の研究がどうも魅力的に映らなかったんですよね。

そんななか、私は源信についての研究を行っていました。インドの聖者である龍樹・天親は除き、横断的に文献を遺しているのは、源信だけです。

源信は法華経に基づく問題や、唯識、倶舎論といったことも取り扱いながら、阿弥陀仏信仰や浄土を語っているんですよね。それが私にとっては非常に魅力的で、源信を学んでいたんです。

ところが、当時は源信の研究をしている人は少数でした。というのも、源信はどちらかというと「大学者」という位置づけで、少し立ち位置が違ったものとして受け止められていたんです。

とはいえ、源信は言うまでもなく七高僧の一人として位置づけられています。七高僧を一通り勉強すると、道綽は曇鸞のテキストを研究し、善導は道綽の研究をしていることが明らかになりました。

では、源信にとって曇鸞をどの程度受容しているのか?が問いとして浮かび上がりました。私の調べた限り、源信の往生要集では曇鸞の浄土論註を引用していない、という結論なんです。

往生要集について特に五念門を用いているが、どういう用い方をしているのでしょうか?織田先生は、五念門行という概念は『浄土論』で取り扱われてないという発見をされています。五念門行とは、阿弥陀仏の浄土に往生するための行法で、礼拝門・讃嘆門・作願門・観察門・回向門の5つの行を指し示します。

ところが、鎌倉期の写本では五念門行の記述が見られます。となると、やはり五念門行は我々がする必要のある修行なのか?と考えざるを得ませんよね。そうしたことを、ひとつひとつ丁寧に見ていく必要があるのではないでしょうか?

今日の曇鸞教学は、親鸞の著作で語られていることが多いと感じています。市野先生は「読みすぎている」と表現されましたが、私は「投影している」と表現します。曇鸞と親鸞の間の研究がどうなっているのかを調べる必要があるのではないかと思います。

もちろん、曇鸞に焦点を当てて研究をされた方はいらっしゃいます。ただ、親鸞以前の仏教思想家で往還ニ回向、三願的証といったことを言及している人はほぼいません。もしかすると、新出の資料で明らかになるかもしれませんが、現時点では不明です。

たとえば、曇鸞が三願的証を明らかにした、といったことは親鸞教学を通して語られることがほとんどです。つまり、曇鸞そのものが三願的証をどう捉えていたかは、まだ研究の余地があるということです。

決して七高僧が語られたことを疑うわけではなく、虚心坦懐に曇鸞まで、源信まで、親鸞までに明らかになったことを整理しようと思いました。つまり、曇鸞教学が中国を経て日本に伝来するまでの通史を描きたかったんです。

タイトルでは「日本的展開」と表現しましたが、特に日本の浄土真宗以外の宗派がどれだけ浄土論註を受容しているかを検討しました。研究を進めると、これまでに見えなかったものが見えてきたんですよね。

たとえば、親鸞が大切にしているところを他の日本仏教者は重要視していなかったり、逆に曇鸞が重要視している部分を親鸞が注目していなかったり…といったことです。

特に「奢摩他」「毘鉢舎那」の止観については浄土論註を語るうえで非常に重要な問題ですが、親鸞は引用していないことが明らかになりました。親鸞にとって浄土論註におけるアクセントが違う、ということです。

本願力回向の理解

藤村:また、「本願力回向」という言葉づかいについても注目しました。浄土真宗では「他力とは如来の本願力なり」と表現しますが、本願力と回向の間にはスラッシュが入るのではないでしょうか?

源信の往生要集を読んでいると、どちらかというと「本願力をもって我々が菩提回向するがゆえに」と訓読するのが一般的であると思います。ところが、真宗では「本願力回向」という熟語として認知されていますよね。

親鸞以前の教学では、本願力回向を高らかに喧伝しているのでしょうか?源信の場合は「普賢菩薩の行願をもって私が回向する」と理解されます。いわば源信僧都の回向理解ですよね。そうした理解の違いに、思想史上での断層があるのではないかと感じました。

親鸞は源信の『往生要集』を引用できたはずなのに、引用していないのはどうしてでしょうか?『往生要集』の五念門理解も採用していません。そして、『往生要集』の五念門説が後世に広く支持を集めたかどうかも謎に包まれています。そうしたところに注目して、執筆させていただきました。

市野先生がおっしゃったように、ことさらに新研究を行ったわけではありませんが、これまでの研究の中で取り扱われてこなかったものを、本書では再検討し、再構築しました。そういう意味での新研究ではないかと思います。

質疑応答

続けて、質疑応答の時間へと移ります。質疑応答では、以下のような質問と回答がありました。

ーー網羅的に執筆されている中で、議論の中心が大谷派であることに気づきました。大谷派の研究が多いのはどうしてでしょうか?

市野:たしかに、論文を観ると圧倒的に大谷派の論文が多かったですね。本書の最後には一覧表を用意していますが、どうしても触れる必要があるもの以外、基本的には大谷派の著書は省いています。

大谷派の研究が多い理由は、本願寺派では議論の必要が薄かったからということが考えられます。「念仏一つ」の教えでも、念仏の受け止めは大谷派は「足のない念仏(地に足がついていない)」と言われ、本願寺派の念仏は「首のない念仏(考えることをそれほどしない)」と言われます。

これは教学の特徴を表すもので、本願寺派は安心論題というような、教科書的な教義に関してのかっちりとした枠組みができています。その中でも往相と還相を受け止める共通認識があり、そこから飛び出る議論はそんなにでてきません。

一方、大谷派は比較的議論になりやすい土壌があったので、伴って大谷派の研究が多くなったのではないかと思います。

ーー回向がはたらきということで、実感する自分自身が大事という趣旨のことをおっしゃったと思うのですが、はたらきの実感について、もう少し教えていただけませんでしょうか?

市野:大事にしている言葉に「仏法に出会うことは変わるということ」というものがあります。変わるとは、姿が変わるわけではない、生き方の中に仏教の教えに照らして考えるという物差しが日常に出てくるということです。それが出会っていることの一つではないかと思います。

大事なのは、そのことを自分自身が胸を張って良いということです。まさに、このシンポジウムの場にいらっしゃる方々は仏法に出あっている、はたらきを実感できる状態にあると言えるのではないでしょうか。

まとめ

今回は、『曇鸞『浄土論註』の新研究』出版報告会のレポートをお届けしました。

シンポジウムの最後に、市野先生は「素朴な質問から、みなさまが仏教とどう向き合えばよいのかという質問を聞いて、さらなる研究への励みをいただきました。さまざまな形でさまざまな世代で、仏教を学べる場がさらに増えることを願います。」とコメントいただきました。

このたびのシンポジウムでは、本書が刊行された経緯はもちろん、本書の見どころも含めて詳細に解説いただきました。市野先生、藤村先生、そして中村先生、ありがとうございました。

シンポジウムは第二回も検討しております。どうぞお楽しみに!

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この記事を書いた人

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