直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
袈裟を身につけることは、単なる服装以上の意味を持つとされますが、以下のうち、袈裟の呼び名として間違っているものはどれでしょう?
- 解脱服
- 福田衣
- 魔除けの鎧
答えは記事の最後で! ぜひ最後まで読んで、その奥深い世界に触れてみてください。
『正法眼蔵』に記された袈裟伝承の真実
「後漢の孝明皇帝、永平十年よりのち、西天(サイテン)東地、往還する出家在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして仏仏祖祖正伝の祖師にあふといはず、如来より面授相承(ソウジョウ)の系譜なし。ただ経論師にしたがふて、梵本(ボンポン)の経教(キョウギョウ)を伝来せるなり。
仏法正嫡(ショウテキ)の祖師にあふといはず、仏袈裟相伝の祖師ありとかたらず。あきらかにしりぬ、仏法の閫奥(コンオウ)にいらざりけりといふことを。かくのごときのひと、仏祖正伝の旨あきらめざるなり。
釈迦牟尼如来、正法眼蔵無上菩提を摩訶迦葉に附授しましますに、迦葉仏正伝の袈裟、ともに伝授しまします。
嫡嫡相承(ソウジョウ)して、曹谿山大鑑禅師にいたる、三十三代なり。その体色量親伝せり。
それよりのち、青原南嶽の法孫、したしく伝法しきたり、祖宗の法を搭(タッ)し、祖宗の法を製す。
浣洗の法、および受持の法、その嫡嫡面授の堂奥に参学せざれば、しらざるところなり。」
現代語訳
後漢、孝明皇帝の永平十年から、インドと中国を行き来する出家や在家の者は、足繁く絶えることはありませんでしたが、その人達は、誰もインドで仏祖の正しい伝統を受け継ぐ祖師に出会ったとは言いませんでした。
ですから、釈尊から代々親しく相承する仏法の系譜を伝えた人はいなかったのです。彼等は、もっぱら経論の師に従って、梵文の経典やその教えを伝来したのです。
彼等は、仏法の正統な嫡子の祖師に出会ったと言わず、仏の袈裟を相伝する祖師がいるとも語りませんでした。このことから明らかに知られることは、仏法の堂奥には入らなかったということです。この人達は、仏祖の正しい伝統の宗旨を明らかにしていないのです。
釈尊は、仏法の神髄である無上の悟りを摩訶迦葉に授けましたが、その時に迦葉仏の正しい伝統の袈裟も一緒に伝授されました。
その袈裟は、歴代の祖師が相承して曹谿山の大鑑禅師に至り、伝えられること三十三代でありました。このようにして、仏の袈裟の材料や形、大きさなどが親しく伝えられたのです。
その後、青原行思禅師や南嶽懐譲禅師の法孫は、親しく袈裟の法を伝えて、宗祖の法による袈裟を身に着け、宗祖の法による袈裟を仕立ててきたのです。
袈裟を洗い清める作法や護持する作法は、仏祖が代々親しく伝えてきた堂奥の教えに学ばなければ知ることは出来ないのです。
語句説明
- 西天(サイテン): インドのこと
- 東地(トウチ): 中国のこと
- 出家在家(シュッケザイケ): 仏門に入り修行する者(僧侶)と、家庭生活を送りながら仏道を実践する者(在家信者)
- くびすをつぎてたえず: 「踵(くびす)を継いで絶えず」と書き、人が引き続いて絶えない様子を表す
- 仏仏祖祖正伝(ブツブツソソショウデン): 仏から仏へ、祖師から祖師へと、途切れることなく正しく受け継がれてきた伝統
- 面授相承(メンジュソウジョウ): 師から弟子へ、直接対面して教えが受け継がれること。特に禅宗において、師の悟りが弟子に伝えられる、最も正統な形式とされる
- 系譜(ケフ): 血筋や学問、芸術などが代々受け継がれていく系統
- 経論師(キョウロンシ): 仏典(経典と論書)を研究し、教義を説く学者僧侶
- 梵本(ボンポン): サンスクリット語で書かれた原典の経典
- 経教(キョウギョウ): 経典とその教え
- 仏法正嫡(ブッポウショウテキ): 仏法の正統な後継者、あるいは正統な教えそのもの
- 仏法の閫奥(ブッポウノコンオウ): 仏法の奥深い真髄、核心
- 釈迦牟尼如来(シャカムニニョライ): 仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタのこと
- 正法眼蔵(ショウボウゲンゾウ): 禅の真髄を示す言葉。また、道元禅師の主著の書名でもある
- 無上菩提(ムジョウボダイ): この上ない最高の悟り
- 摩訶迦葉(マカカショウ): 釈迦十大弟子の一人で、釈迦から仏法と袈裟を受け継いだ禅宗の初祖
- 迦葉仏(カショウブツ): 釈迦牟尼仏の前に世に出た仏の一人
- 曹谿山大鑑禅師(ソウケイザンダイカンゼンジ): 中国禅宗の第六祖、慧能(えのう)のこと。禅宗の発展に大きな影響を与えた
- 体色量(タイシキリョウ): 袈裟の形、色、大きさといった具体的な物理的側面
- 搭(タッ): 袈裟を身に着けること、あるいは袈裟を裁縫すること
- 製す: 袈裟を仕立てること
- 浣洗の法(カンケサホウ): 袈裟を洗い清める作法
- 受持の法(ジュジノホウ): 袈裟を受け、大切に保ち、身につける作法
- 堂奥(ドウオウ): 奥義、核心。ここでは仏法の最も深い教えを指す
詳細な解説:袈裟と正伝の系譜
仏法と袈裟、その正嫡なる伝承
『正法眼蔵』において道元禅師が特に強調するのは、仏法と袈裟が一体である「衣法(えほう)」の「正伝(しょうでん)」の重要性です。
禅師は、後漢の時代から多くの僧侶や在家信者がインドと中国を行き来し、経典や教えを伝えてきたにもかかわらず、そのほとんどが「如来より面授相承の系譜」、つまり仏法の真髄が代々直接伝えられる「正嫡(しょうてき)」の祖師に出会っていなかったと指摘します。
彼らが伝えたのは、経論師(学者僧侶)による経典の教えに過ぎず、仏法の「閫奥(コンオウ)」(奥深い真髄)には至っていなかった、と手厳しく批判しています。
真の仏法の伝承は、釈迦牟尼仏が摩訶迦葉に「正法眼蔵無上菩提」を授けた際に、同時に「迦葉仏正伝の袈裟」も伝授したことに始まります。
この袈裟は、歴代の祖師によって嫡子から嫡子へと受け継がれ、中国禅宗の第六祖である曹谿山の大鑑禅師(慧能)に至るまで、三十三代にわたってその「体色量」(形、色、大きさ)までもが正確に伝えられてきたとされます。
袈裟に込められた仏の心と教え
袈裟は単なる衣服ではありません。道元禅師によれば、それは「諸仏の恭敬帰依しましますところなり。仏身なり、仏心なり」とされ、解脱服、福田衣、無相衣、無上衣、忍辱衣、如来衣、大慈大悲衣、勝幡衣、阿耨多羅三藐三菩提衣など、様々な尊い呼び名を持っています。
これらの呼び名は、袈裟が煩悩からの解脱、福をもたらす源、執着を離れた真実、最高の功徳、忍耐の象徴、仏そのもの、そして魔を打ち破る勝利の旗印であることを示しています。
さらに、袈裟は、その材質や形、大きさといった「体色量」にも深い意味が込められています。
本来、袈裟は粗末な布で作られ、世間の華美な衣服とは対照的な「壊色」(黒ずんだ色)に染められます。これは、世俗の欲を離れ、質素と清浄を追求する仏道の精神を象徴しているのです。
興味深いことに、袈裟のサイズは仏の身体の長短に左右されないと説かれます。
これは、仏の身体が人間のような物理的な制約を受けず、無限かつ不可思議なものであることを示唆しており、袈裟そのものもまた、量り知れない仏の功徳を体現していると考えることができます。
形が内面を導く:袈裟受持の功徳
禅師は、「袈裟は絹や綿などではない」とし、その本質が素材にあるのではなく、仏法の象徴としての意味にあると説きます。たとえ戯れに袈裟を身に着けた者であっても、その「因縁」によって後に悟りを得る例が示されており、これは袈裟を身につけるという「形」が、内なる仏性を引き出し、修行者を仏道へと導く力を持つことを意味します。
袈裟を護持することは、わずかな時間であっても、最高の悟りへの「護身符」となるとまで言われています。
しかし、このような深い功徳を享受するためには、単に袈裟を身につければよいというわけではありません。
袈裟の洗濯や着用などの「浣洗の法、および受持の法」もまた、嫡嫡面授の師から学ばなければ知ることができない「堂奥」の教えであると強調されます。これは、形を軽んじず、正しい作法を守ることの重要性を示唆しています。
読者への問いかけとまとめ
道元禅師は、遠い辺境の地である日本において、仏祖から正しく伝えられた袈裟と法に出会えたことを深く喜び、その功徳の広大さを説きました。そして、禅師は日本の僧侶たちが袈裟を護持せず、その真意を知らない現状を嘆き、「正しい伝統の袈裟を受けなさい」と強く促しています。
袈裟は、単なる衣ではなく、仏の身体であり、仏の心、そして仏法そのものを象徴するものです。その一枚の布には、悟りへ導く計り知れない功徳が宿っており、これを正しく受け継ぎ、護持することこそが、真の仏道修行であると説かれています。
私たちは日々の生活の中で、様々な「形」に触れています。その一つ一つに込められた意味や歴史を深く知ることで、単なる表面的なものに留まらない、より豊かな世界が見えてくるのではないでしょうか。この「袈裟」のように、身近なものに潜む深遠な意味を、改めて見つめ直すきっかけとなれば幸いです。
導入クイズの答え:
- 魔除けの鎧
解説:袈裟は、直接的に「魔除けの鎧」とは表現されていませんでした。他の「解脱服」「福田衣」は、袈裟の呼び名として挙げられています。