「ボロ布」こそが最高の仏衣? 袈裟の材料に込められた仏教の深い教え

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:本来、仏教において最も清浄な袈裟の材料とされる「糞掃衣」が、当時の日本でほとんど手に入らなかったのはなぜでしょうか?

  1. 仏教の戒律が厳しすぎて、誰もボロ布を拾わなかったから
  2. 日本が貧しく、ボロ布さえ生活の糧として利用され尽くしていたから
  3. 中国と異なり、日本では布を屋外に捨てる習慣がなかったから

原文

しかあればすなはち、この糞掃衣(ふんぞうえ)は、人天龍等(にんてんりゅうとう)のおもくし、擁護(ようご)するところなり。
これをひろうて袈裟(けさ)をつくるべし。これ最第一(さいだいいち)の浄財(じょうざい)なり、最第一の清浄(しょうじょう)なり。
いま日本国(にほんこく)、かくのごとくの糞掃衣なし。たとひもとめんとすともあふべからず、辺地小国(へんちしょうこく)かなしむべし。

ただ檀那所施(ショセ)の浄財、これをもちゐるべし。人天(にんでん)の布施(ふせ)するところの浄財、これをもちゐるべし。

あるいは浄命(ジョウミョウ)よりうるところのものをもて、いちにして貿易(ムヤク)せらん、またこれ袈裟につくりつべし。


現代語訳

そのために、この糞掃衣は、人間、天人、龍神などが重んじて守って来たものです。ですから、このボロ布を拾って袈裟を作りなさい。これこそが最も第一の清浄な衣材であり、最も第一の清浄な袈裟なのです。

しかし、今の日本国には、このような糞掃衣がありません。たとえ求めようとしても出会うことができないのです。この国が、糞掃衣の伝統が伝わらない辺地小国であることは悲しいことです。

ですから、今はただ、施主(信者)が施す清浄な衣材を用いて袈裟を作りなさい。人々が布施する清浄な衣材を用いるべきです。

あるいは、清浄な生活(浄命)で得たものによって、市場で衣材を買い求め(物々交換をして)て、袈裟を作ることもできます。


語句説明

  • 糞掃衣(ふんぞうえ):人が捨てたボロ布を拾い集めて作った衣。諸仏が清浄とされる最上の衣材
  • 浄財(じょうざい):清浄な衣の材料
  • 辺地小国(へんちしょうこく):仏法発祥の地(インド)から遠く離れた辺境の国(当時の日本を指す)
  • 檀那所施(だんなしょせ):施主(信者)から施されるもの
  • 浄命(じょうみょう):邪な手段によらず、乞食や信者の布施によって生活する清浄な生き方
  • 貿易(むやく):物々交換、または市で買い求めること

詳細な解説

仏教の理想:執着を断つ「糞掃衣」の精神

袈裟は「解脱服」「福田衣」「無相衣」などとも称され、諸仏が恭敬し帰依する、仏の身体であり仏の心そのものとされます。この袈裟を作るために最も優れているとされるのが「糞掃衣」です。

糞掃衣は、牛に噛まれた服や死者の服、焼け焦げた服など、人間が使用しない忌まわしいボロ布を指します。これらの布は、もはやその材質(絹や麻)や貴賎といった世俗的な価値観(人間の恣意的な思量)を離脱しており、人間の執着の対象とならない絶対の真実を象徴すると解釈されます。修行者がこれを洗い、縫い直して身に着けることは、世俗的な欲の汚れを増す世間の衣服とは異なり、諸仏の皮肉骨髄を正しく伝える行為と見なされます。

鎌倉時代の日本:辺地小国ゆえの悲哀

道元禅師は、この「最第一の清浄」な糞掃衣が、当時の日本には見当たらないと悲しんでいます。なぜなら、日本が仏法が完全に伝わらない「辺地小国」であり、理想的な清浄の布が得られないことが、仏道の純粋な実践を妨げていると感じたからです。

一説には、当時の鎌倉時代の日本は非常に貧しく、飢饉や疫病が頻発し、ボロ布であっても生活の糧として徹底的に再利用されていたため、「人が捨てて使用しない」純粋な糞掃、つまり「糞掃衣」に使えるような布が流通していなかった、という現実があったようです。このように、日本は、布切れ一つに至るまで利用し尽くすほど貧しいがゆえに、仏教の理想とする「捨てるもの」が存在しなかったという、逆説的な状況だったのです。

理想と現実の調和:清浄な財源の確保

理想の糞掃衣が得られない日本において、道元禅師は現実的な代替策を示しました。それは、袈裟の材料の清浄さを、物質ではなくその調達方法に求めるというものです。

一つは「檀那所施(信者の布施)の浄財」を用いること。もう一つは「浄命よりうるところのものをもて、いちにして貿易せらん」という方法です。これは、僧侶が邪な手段(占い、呪術など)を避け、清浄な生活を通して得た金銭や財によって、市場で布を買い求める(当時は物々交換が多い)ことを意味します。

この教えは、袈裟という「形」を重視しつつも、その材料がたとえ絹や麻綿であっても、「絹や麻綿という見方を投げ捨てて、糞掃を参学すべき」という精神的な態度こそが重要であることを示唆しています。調達の過程を清浄に保つことで、その布は仏法のためにある「糞掃衣」の精神的な価値を帯びるのです。


問いかけとまとめ

道元禅師が示した「糞掃衣」の教えは、物質的な豊かさや見た目の華やかさよりも、「執着を離れた清浄な心」と「調達の経緯における倫理的な清らかさ」を重視するという、仏道の根源的な精神を私たちに伝えています。

現代の私たちは、多くの「モノ」に囲まれていますが、その一つ一つがどのような経緯で手元に来たのか、そして私たちがそれにどれほどの執着を持っているのか、問い直す機会は少ないかもしれません。あなたが日々の生活で得ている「財(収入や物資)」は、「浄命」によって得られた清浄なものと言えるでしょうか。この問いかけこそが、袈裟の功徳が持つ、私たち自身の修行を促す教えなのです。


クイズの答え

答え:B. 日本が貧しく、ボロ布さえ生活の糧として利用され尽くしていたから

解説: 鎌倉時代の日本では、飢饉や貧困のため、死者の着物まで利用されるほど布が貴重でした。そのため、誰も拾わないような「糞掃衣」の材料が存在せず、道元禅師は、布施された清浄な布や、清浄な生活で得た財によって市で買い求めた布(浄財)を代替とすることを認めたのです。これは、理想を追求しつつも、現実を許容するという、道元禅師のリアリズムを示す一例です。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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