直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
クイズ:仏道の宝である袈裟を、正しく教えを継いだ師から受け取ることの最大の功徳とは、次のうちどれでしょうか?
- 煩悩がすべて消滅すること
- 如来の法子法孫となり、その真髄を受け継ぐこと
- 貧しさから解放され、飲食が満ち足りること
原文の提示
もし菩提心をおこさん人、いそぎ袈裟を受持頂戴すべし。この好世にあふて仏種をうゑざらん、かなしむべし。
南洲の人身(ニンシン)をうけて、釈迦牟尼仏の法にあふたてまつり、仏法嫡嫡(テキテキ)の祖師にうまれあひ、単伝直指(ジキシ)の袈裟をうけたてまつりぬべきを、むなしくすごさん、かなしむべし。
いま袈裟正伝は、ひとり祖師正伝これ正嫡(ショウテキ)なり、余師の肩をひとしくすべきにあらず。
相承なき師にしたがふて袈裟を受持する、なほ功徳甚深なり。いはんや嫡嫡面授しきたれる正師(ショウシ)に受持せん、まさしき如来の法子法孫ならん、まさに如来の皮肉骨髄(ひにくこつずい)を正伝せるなるべし。
おほよそ袈裟は、三世十方の諸仏 正伝しきたれること、いまだ断絶せず。三世十方の諸仏菩薩声聞縁覚、おなじく護持しきたれるところなり。
現代語訳
もし仏道を志す心(菩提心)を起こす人がいるならば、急いで袈裟を受けて大切にしなさい。この得難い良き世(釈迦牟尼仏の教えがある世)に出会って、仏になるための種を植えないことは、悲しいことです。
人間が住む世界(南洲の人身)に生まれ、釈迦牟尼仏の教えに巡り会い、仏法を代々正しく継承してきた祖師に会うことができて、直接伝えられた袈裟を受けることができるというのに、それを無駄に過ごしてしまうのは、まことに悲しいことです。
現在、袈裟を正しく伝える唯一の道は、祖師から正しく伝えられた系統(正嫡)の師から受けるものであり、他の師の系統をこれと同等に扱うべきではありません。
たとえ、代々受け継がれた袈裟の無い師(相承なき師)から袈裟を受けても、その功徳は非常に大きいのです。まして、嫡子から嫡子へと親しく法を伝えてきた正統な師(正師)から袈裟を受ければ、その人はまさに如来(仏)の正式な弟子や法孫となり、如来の皮肉骨髄(真髄)を正しく伝える者と言えるでしょう。
そもそも袈裟は、過去・現在・未来のすべての仏たちが正しく伝えてきたものであり、その系譜は未だ断絶していません。そして、三世十方(全宇宙の過去現在未来)のすべての仏や菩薩、声聞、縁覚といった修行者たちが、皆大切に護持してきたものなのです。
語句説明
- 菩提心(ボダイシン): 悟りを求め、衆生を救済しようと願う心。仏道を志す心のこと
- 南洲(ナンシン): 仏教の世界観における人間が住む世界、四大洲の南にあるとされる州のこと
- 嫡嫡(テキテキ): 嫡子から嫡子へ、代々正しく血筋や法を伝えること
- 単伝直指(ジキシ): 一対一で直接、師から弟子へと仏法の真髄が伝えられること
- 正嫡(ショウテキ): 正統な後継者、あるいはその系統
- 皮肉骨髄(ひにくこつずい): 仏法の真髄、最も奥深い教え。すべてを受け継いだことの象徴
- 三世十方(サンゼジッポウ): 過去・現在・未来(三世)と、あらゆる方向(十方)の全宇宙、すべての時間と空間
詳細な解説
袈裟受持の「稀有なる幸運」
人間として生まれて釈迦牟尼仏の教えに出会うことは、極めて得難い幸運だと説かれます。さらに、その中でも「仏法嫡嫡の祖師」に巡り合い、「単伝直指の袈裟」を受けることができるのは、二重三重の幸運に恵まれた状態です。もしこの貴重な機会を得ながら、何もしないで虚しく過ごすことは「かなしむべし」と強く戒められています。
袈裟の功徳は、たった一日一夜でも護持すれば、無上の悟りを得るための「護身符子(お守り)」となるほど広大です。
「正伝」の袈裟が意味するもの
袈裟が持つ功徳は、それが「三世十方の諸仏」によって途切れることなく正しく伝えられてきた「仏衣」であることに起因します。袈裟は、単なる衣ではなく、仏の身体であり、仏の心そのものであると称されます。
しかし、原文では、特に「祖師正伝これ正嫡なり」と、正しい系統(嫡嫡)から受け継ぐことの重要性が強調されています。釈尊の正法(真髄)は摩訶迦葉に伝えられ、その際に袈裟も共に伝授されました。この「衣と法」の嫡嫡相承の系譜は、達磨大師を経て中国の六祖慧能禅師まで、三十三代にわたって親しく伝えられてきたのです。
正師から受ける功徳の深さ
この「嫡嫡面授(めんじゅ)」の系譜を受け継ぐ「正師」から袈裟を受けることは、単に功徳が深いだけでなく、「まさしき如来の法子法孫」となることを意味します。これは、如来の皮肉骨髄(仏道の究極の真髄)をそのまま受け継ぐことであるとまで表現されています。
ただし、教えの系譜(相承)を持たない師から袈裟を受けたとしても、その功徳は「甚深なり」(非常に深い)とされています。しかし、水の混ざった乳(凡庸な師の教え)であっても乳(正しい伝統の仏法)であれば用いるべきだが、仏仏祖祖の正伝は皇太子の帝位即位のように、すべてを受け継いだ絶対的なものである、という譬えがあります。正伝の袈裟こそが、仏祖が人々に伝えたかった「形」と「精神」が一体となった仏法そのものなのです。
袈裟を頂戴し護持する行為は、行者自身の猛烈な修行の力(猛利恆修)によるものではなく、袈裟そのものが持つ不思議な神力(神力不思議)によるものです。袈裟は煩悩の毒矢も害せない金剛の甲冑に喩えられます。
問いかけとまとめ
袈裟は、過去・現在・未来のすべての仏たちが護持し続けてきた、仏法の真髄を象徴する宝です。私たちは、この袈裟の教えを通して、単なる知識ではなく、仏道の修行(菩提心)を今すぐ始めることの重要性を強く説かれています。
袈裟を頂戴する行為は、私たちの身心がたちまち転換する道理を現しており、この広大な功徳は、私たちが前世に植えた善根(宿善)の力によって巡り会えた賜物なのです。
もし今、あなたが仏道を志すならば、その貴重な袈裟の功徳を信じ、日夜大切に護持することこそが、如来の遠い法孫である私たちが、仏祖伝来の教えを正しく受け継ぐ道となるでしょう。
クイズの答え
B. 如来の法子法孫となり、その真髄を受け継ぐこと
解説:嫡嫡面授(直接の正統な相承)の師から袈裟を受持すれば、「まさしき如来の法子法孫ならん、まさに如来の皮肉骨髄を正伝せるなるべし」と説かれています。これは、その人が仏道の真髄(皮肉骨髄)を受け継いだ正式な後継者となることを意味します。
