直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
クイズ:蓮華色比丘尼(レンゲシキビクニ)が阿羅漢の悟りを得る最初の原因となった「功徳」は何か?
- 厳しい修行と精進
- 袈裟をふざけて身につけたこと
- 過去世での大規模な布施
原文
「この蓮華色(レンゲシキ)、阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず。ただこれ袈裟を戯笑(ケショウ)のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。
二生(ニショウ)に迦葉仏(カショウブツ)の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釈迦牟尼仏にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明(サンミョウ)六通を具足せり。
三明とは、天眼(テンゲン)、宿命(シュクミョウ)、漏尽(ロジン)なり。六通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通(テンニツウ)、宿命通、漏尽通なり。」
現代語訳
蓮華色比丘尼が、袈裟を冗談(戯れ)で身に着けた功徳によって、最終的に大いなる聖者(大阿羅漢)となり、三明と六神通という超常の能力を具足することができた。
このわずかな功徳のおかげで、次の生(二生)では迦葉仏の教えに会って尼僧となり、
さらにその次の第三生には釈迦牟尼仏に出会い、悟りを開くことができました。
語句説明
- 蓮華色比丘尼(レンゲシキビクニ): 優鉢羅華比丘尼とも呼ばれる、釈迦の時代の尼僧
- 阿羅漢(アラカン): 煩悩を断じ、悟りを得た聖者の位
- 三明(サンミョウ): 過去、未来、煩悩の尽きを知る三種の智慧(天眼明、宿命明、漏尽明)
- 六通(ロクツウ): 自由自在な能力である六種の神通力(神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏尽通)
- 戯笑(ケショウ/クショウ): ふざけること、冗談
詳細な解説
戯れに着た袈裟が繋いだ仏道の「因縁」
この蓮華色比丘尼の物語は、『大智度論』に説かれている話だとされています。彼女はかつて遊女であった時、冗談で尼僧の衣(袈裟)を身につけたという過去世の行いがありました。その行為が、彼女が阿羅漢の悟り(得道)を得るための最初の、そして唯一の原因となりました。
彼女のその後の生涯は、波乱に富んでいました。袈裟を身につけた後、自らの高貴な生まれや美しい姿に慢心して禁戒を破り、その罪で地獄に堕ちて様々な罰を受けました。
しかし、戒を受けた因縁があったため、地獄での報いが終わると、現世(第三生)で釈迦牟尼仏に出会い、最終的に道を悟ることができたのです。
「袈裟」の不思議な神力
このエピソードは、修行者が厳しい精進をする力ではなく、袈裟そのものが持つ功徳がいかに偉大であるかを強調しています。
袈裟は単なる布ではありません。それは諸仏が敬い、帰依されている仏の身体であり、仏の心であると称され、解脱服(煩悩を解脱する服)や福田衣(福をもたらす衣)といった多くの尊称を持ちます。
袈裟を身に着けるという行為は、たとえ一時的、あるいは不純な動機(戯笑や私利私欲)によるものであったとしても、必ず仏道を悟る「得道の因縁」となるのです。一度でも袈裟を身体にまとい、ごくわずかな間(刹那須臾)でも護持すれば、それは無上の悟り(無上菩提)を成就する護身の札となるとされています。
この物語は、「善い行いをなす因縁」がいかに重要であるかを教えてくれます。たとえ戒を破り、悪人として地獄に堕ちたとしても、一度仏道に触れ、袈裟という象徴に関心を持った(因縁を植えた)ことが、最終的に彼女を救済へと導いたのです。
まとめ:仏の教えに触れるという「一歩の功徳」
この蓮華色比丘尼の物語は、私たちに、仏法の教えに触れるというわずかな一歩の功徳の大きさを教えてくれます。
私たちは、袈裟そのものを身に着ける機会は少ないかもしれませんが、仏の教え(正法)に出会えていること自体が、過去世に植えた大きな善根(宿善)による「幸運」なのです。
もし仏道に心を志すならば、急いで袈裟を受けて大切にすべきであると教えられています。袈裟は、形が人を作り、内面を作り、本質を自ずと作っていくという、「形」の力が内面を導く象徴です。私たちも、袈裟を尊び、日々の生活の中で仏道への敬虔な思いを大切にしていきましょう。
クイズの答え
B. 袈裟をふざけて身につけたこと
解説:
蓮華色比丘尼は、遊女であった時に戯笑のために袈裟を身に着けたという、わずかな「因縁」により、二生を経て迦葉仏の法に、三生を経て釈迦牟尼仏の法に触れ、大阿羅漢となりました。この物語は、袈裟という仏祖が伝えた法そのものの象徴が、修行者の意志や努力を超えて、成仏を保証するほどの計り知れない功徳を持つことを示しています。
