袈裟の持つ絶大な力:大罪を犯しても成仏が保証される「大悲の誓願」とは?

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:重罪を重ねた修行者が袈裟によって将来の成仏を保証されるために必要とされる「最低限の条件」とは何でしょうか?

  1. 犯した重罪を深く懺悔し、清らかな戒律を保つこと。
  2. 袈裟を着用し、一瞬(一念)でも恭敬の心を生じること。
  3. 仏法僧の三宝すべてに多大な供養を行うこと。

原文

「世尊、我れ成仏し已(オワ)らんに、若(モ)し衆生有って、我が法中に入りて出家し、袈裟を著(ヂャク)する者、或いは重戒を犯し、或いは邪見を行ひ、若しは三宝(サンボウ)に於いて軽毀(キョウキ)して信ぜず、諸(モロモロ)の重罪を集めん比丘比丘尼、優婆塞(ウバソク)優婆夷(ウバイ)、
若し一念の中に於いて、恭敬(クギョウ)の心を生じて、僧伽梨衣(ソウギャリエ)を尊重(ソンジュウ)し、恭敬の心を生じて、世尊或いは法僧を尊重せん、
世尊、是(カク)の如くの衆生、乃至(ナイシ)一人も、三乗に於いて記莂(キベツ)を受くることを得ずして、而(シカ)も退転せば、則ち十方世界の、無量無辺阿僧祇(アソウギ)等の、現在の諸仏を欺誑(ゴオウ)すと為す。

必定して阿耨多羅三藐三菩提を成(ジョウ)ぜじ。」

現代語訳

「宝蔵仏よ、私が将来仏となった時に、もし私の法の下で出家して袈裟を着ける者で、たとえ重い戒を犯したり、誤った考えを起こしたり、三宝を軽んじて重い罪を重ねる僧尼や在家の男女がいたとしても、
もし、ほんの少しでも心の中に敬いの心を起こして、大衣の袈裟を尊重し、世尊(仏)や法、僧を尊重するならば、
世尊よ、これらの人々の中に一人でも、三乗の修行において将来仏となるであろうという予言(記莂)を受けられずに、修行を退いてしまう者がいるならば、それは全世界の数限りないすべての諸仏を欺くことになります。もしそうであれば、私は決して仏の悟り(無上菩提)を成就することはありません。」

語句説明

  • 世尊(せそん):ここでは、釈尊が過去世で発願した相手である宝蔵仏(ほうぞうぶつ)を指す
  • 大悲菩薩(だいひぼさつ):この誓願をした時の釈尊の過去世の姿(もとは大臣・宝海)
  • 僧伽梨衣(そうぎゃりえ):三衣(さんえ)の一つである大衣(だいえ)のこと
  • 一念(いちねん):きわめて短い時間、一瞬の心念
  • 三乗(さんじょう):声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)という、悟りを目指す三つの修行の姿
  • 記莂(きべつ):修行者が将来、仏の悟りを得るという予言
  • 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい):無上なる最高の悟り(仏陀の悟り)

詳細な解説:

袈裟に込められた釈尊の覚悟

袈裟の功徳は修行者の力を超える この誓願は、『悲華経(ひけきょう)』という経典の一節を引いたもので、釈尊が前世(大悲菩薩)の時、師である宝蔵仏の前で立てた誓いです。
の内容は、袈裟の「五聖功徳」の一つとして語られています。

ここで注目すべきは、袈裟を着ける衆生が「重戒を犯し、邪見を行い、三宝を軽んじて信じない」ような、重罪を重ねる悪人であっても救済が約束されている点です。
この功徳は、修行者の勇猛精進の力(猛利恆修のちから)によるものではなく、ただ袈裟の神力によるものだと強調されます。

袈裟の神力は、凡夫や賢人聖人には計り知ることのできない、不思議な力を持っているのです。

袈裟は成仏への「護身符子」 袈裟は古くから解脱服(げだっぷく)と呼ばれ、これを身に着けることで、過去の悪行や煩悩によるあらゆる障りから解脱できると説かれています。

龍が袈裟の糸一筋を得るだけで苦悩を免れ、牛が袈裟に触れるだけで罪が消滅するというたとえ話もあります。
したがって、この袈裟の法が流布する時代に生まれ合わせ、一度でも袈裟を身体にまとい、ほんの少しの間でも護持すれば、それは必ず無上の悟りを成就する護身の札(護身符子)となるのです。
たとえ戯れに袈裟を着けたとしても、それは必ず仏道を悟る因縁となるとされています。

この誓願の結び「必定して阿耨多羅三藐三菩提を成ぜじ」(私は決して仏の悟りを成就しない)という言葉は、もし袈裟の功徳によって衆生が救われなければ、自らの成仏を否定するという大悲菩薩の強い決意と責任感を示しており、これは「自未得度先度他」(自分が悟る前に他の人を救う)という精神に通じています。

袈裟は仏の皮肉骨髄 袈裟は、諸仏が恭敬し帰依されるものであり、仏の身体であり、仏の心そのものであるとも称されます。
釈尊が五百の大願を立てた際、特にこの袈裟の功徳について誓願を起こしたため、釈尊の皮肉骨髄を今日に正しく伝えているものは、袈裟の衣であるとされています。 袈裟を身に着け護持することは、単なる形式ではなく、如来に会うことであり、仏の説法を聞くことであり、仏の心を親しく相伝することであり、仏の髄を得たことに等しいのです。

問いかけとまとめ

袈裟には、修行者の行いを問わず、身に着けること、あるいは一念でも敬う心を持つことに、成仏を保証する計り知れない力があると説かれています。

私たちも、袈裟という「仏の体現」を大切にし、仏道を志すならば、急いで袈裟を受けて護持することが、この良き世で仏の種を植えることに繋がるのです。


クイズの答え

B. 袈裟を着用し、一瞬(一念)でも恭敬の心を生じること。

解説:

釈尊が過去世で立てた誓願によれば、重罪を犯した者や邪見を持つ者であっても、「一念の中に於いて恭敬の心を生じて」僧伽梨衣(大衣)や三宝を尊重すれば、必ず三乗の道で記莂(成仏の予言)を得ることが保証されます。これは、修行者の力量ではなく、袈裟そのものが持つ不思議な神力によるものです。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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