仏教の伝統を継ぐ「袈裟」に込められた、時空を超えた功徳の教え

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

  1. 袈裟は、修行者が悟りを得るために、日夜、心を清らかに保つことが必要である。
  2. 袈裟は、絹や麻などの材料に関係なく、仏祖の正しい伝統に従って作られている。
  3. 袈裟を戯れに身に着けただけでも、必ず仏道を悟る因縁となる。

原文

諸仏の袈裟の体色量の有量 (ウリョウ) 無量、有相 (ウソウ) 無相 、あきらめ参学すべし。西天 (サイテン) 東地、古往今来の祖師、みな参学正伝せるところなり。

祖祖正伝のあきらかにしてうたがふところなきを見聞 (ケンモン) しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽 (イギョウ) ゆるしがたからん。

愚痴 のいたり、不信のゆゑなるべし。実をすてて虚をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。これ如来を軽忽 (キョウコツ) したてまつるならん。菩提心をおこさんともがら、かならず祖師の正伝を伝受すべし。

われらあひがたき仏法にあふたてまつるのみにあらず、仏袈裟正伝の法孫として、これを見聞し、学習し、受持することをえたり。

すなはちこれ如来をみたてまつるなり。仏説法をきくなり、仏光明にてらさるるなり、仏受用を受用するなり。

仏心を単伝するなり、仏髄をえたるなり。ま のあたり釈迦牟尼仏の袈裟におほはれたてまつるなり、釈迦牟尼仏まのあたりわれに袈裟をさづけましますなり。
ほとけにしたがふたてまつりて、この袈裟はうけたてまつれり。

現代語訳

諸仏の袈裟の形、色、大きさは、有限なのか無限なのか、また姿形があるのか無いのか、という深いあり方を明らかにして学びなさい。インドや中国において、古今の祖師は皆、このことを学んで袈裟を正しく伝えてきたのです。

歴代の祖師が正しく伝えてきたことが確かな事実を聞きながら、無益に(正しい袈裟を)受け継ごうとしない考えは許し難いものです。それは愚かさの極みであり、仏祖を信じていないからです。真実を捨てて虚妄を求め、根本を捨てて末節を求める行為は、如来を軽んじることになります。仏道を志す者は、必ず祖師の正しい伝統を伝受すべきです。

私たちは、出会い難い仏法に出会えただけでなく、仏袈裟の正しい伝統を受け継ぐ法孫として、これを見聞きし、学習し、護持することができたのです。

これは、すなわち如来にお会いしたことに等しく、仏の説法を聞き、仏の光明に照らされ、仏の生活を自らの生活にすることです。また、仏の心を親しく相伝し、仏の髄を得たということなのです。

私たちは、目の前で釈迦牟尼仏の袈裟に覆われるのであり、釈迦牟尼仏が直接私たちに袈裟を授けてくださったのです。仏に従うことによって、この袈裟を受けることができたのです。

語句説明

  • 有量無量、有相無相:袈裟の形や大きさが、定めることができる(有量)が布や人によって無限(無量)であり、形がある(有相)が修行の姿は一定しない(無相)という、袈裟の二面性や本質的なあり方を示す表現の一つ
  • 西天(サイテン):インドのこと
  • 東地:中国のこと
  • 意楽(イギョウ):願い、望みという意味
  • 菩提心:仏の悟りを求める心
  • 仏髄:仏法の真髄、最も深い教え
  • 正伝:祖師から嫡子へと正しく受け継がれた仏法や袈裟

詳細な解説

正伝の袈裟が持つ超越的な意味

袈裟は、本来、粗末なぼろ布(糞掃衣)を拾い集めて作るべき清浄な衣材とされ、三世の諸仏が賛嘆し用いてきたものです。その功徳は、単に修行を助けるだけでなく、無上の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を成就する護身の札となるとされます。
特に「正伝の袈裟」は、釈迦牟尼仏から摩訶迦葉(まかかしょう)、そして達磨大師を経て、中国の六祖慧能禅師に至るまで、嫡々(ちゃくちゃく)と親しく法と共に伝えられた特別なものです。

袈裟受持の功徳の広大さ

袈裟の功徳は、単なる物質的な利益を超越しています。

  • 悪行からの解脱の保証: 袈裟を身に着けることは、悪行や煩悩によるあらゆる障り(業障、煩悩障、報障)から解脱する「解脱服」としての効能を持ちます。
  • 即座の得道因縁: たとえ戒を破るような重罪を犯した者や、戯れ(けしょう)や自分の利益のために袈裟を身に着けた者であっても、その因縁によって必ず仏道を悟ることができると説かれています。
  • 仏法そのものの現成: 袈裟を受持し護持する修行者は、如来の皮肉骨髄を正しく伝えていることになり、それはすなわち、仏の説法を聞き、仏の光明に照らされている状態なのです。この功徳は、たった一日一夜の受持であっても、最上最勝であるとされます。

遠方辺地の者への訓誡

道元禅師は、自国(日本)を「遠方辺地(えんぽうへんち)にある末世(まっき)の国」と捉え、この地では、剃髪した仏弟子でさえ袈裟を護持せず、その真意を知らないことを嘆いています。中国(震旦国)から遠く隔たった日本で、仏祖嫡々の衣法に出会えたことは、宿善(過去世の善根)による計り知れない喜びであると強調し、仏道を志す者には、この正しい伝統の袈裟を急いで受け、大切に護持するように強く促しています。形を整えること(袈裟を正しく着用し、頂戴護持する作法)は、その内面である「法」を自ずと作っていく大切な道である、という教えが込められているのです。

問いかけとまとめ

袈裟が持つ力は、現代の私たちにも通じる普遍的な教えを含んでいます。それは、仏法とは、ただ内面的な理解に留まらず、具体的な「」や「行い」を通して継承され、実現するものだということです。

私たちは日々の生活の中で、どれほど「真実」から目を背け、「虚妄」や「末節」を追い求めていないでしょうか。この仏祖正伝の衣法を知った今、あなたにとって、袈裟(仏法)を「頂戴護持」するとは、具体的にどのような実践を意味するでしょうか。


クイズの答えと解説

クイズの答え:C

  • A. 袈裟は、修行者が悟りを得るために、日夜、心を清らかに保つことが必要である。
    誤り。清浄な信心を起こして袈裟を着れば功徳は成就しますが、「袈裟の功徳は、ただ袈裟の功徳なり、行者の猛利恆修のちからにあらず」とあり、袈裟自体の力が強調されています。
  • B. 袈裟は、絹や麻などの材料に関係なく、仏祖の正しい伝統に従って作られている。
    誤り。袈裟の材料自体は粗布が本来であり、絹や布という分別を捨てて「糞掃」として学ぶべきと説かれています。
  • C. 袈裟を戯れに身に着けただけでも、必ず仏道を悟る因縁となる。
    正しい。たとえ戯れや利益のために袈裟を身に着けたとしても、それは必ず仏道を悟る因縁となると説かれています。これは袈裟の功徳の広大さを示すものです。
この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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