袈裟に秘められた宇宙:形を超えた仏法の真髄とは?

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:袈裟は、その形や大きさが「有限か無限か、姿形があるかないか」と表現されることがあります。これは、袈裟のどのような側面を示していると考えられているでしょうか?

  1. 袈裟の素材や縫い方が非常に多様であること。
  2. 袈裟が単なる物質的な衣類ではなく、仏法の真実そのものを象徴していること。
  3. 袈裟の製作方法が時代や地域によって大きく異なること。

記事の最後に答えがありますので、ぜひ最後まで読んで考えてみてくださいね!


原文

諸仏の袈裟の体色量の有量(ウリョウ)無量、有相(ウソウ)無相、あきらめ参学(サンガク)すべし。

西天(サイテン)東地、古往今来の祖師、みな参学 正伝(ショウデン)せるところなり。
祖祖正伝のあきらかにしてうたがふところなきを見聞(ケンモン)しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽(イギョウ)ゆるしがたからん。

愚痴のいたり、不信のゆゑなるべし。実をすてて虚をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。これ如来(ニョライ)を軽忽(キョウコツ)したてまつるならん。

現代語訳

諸仏の袈裟の形、色、大きさは、有限なものなのか、無限なものなのか、姿形があるものなのか、ないものなのかを明らかにして学びなさい。

インド(西天)や中国(東地)の古今の祖師たちは皆、このことを学んで袈裟を正しく伝えてきました。
歴代の祖師が袈裟を正しく伝えてきたことは明らかで疑いようがないのに、むやみにこの祖師の「正伝」を受け継がないことは、許し難い考えです。

それは愚の極みであり、仏祖を信じていないためです。真実を捨てて虚妄を求め、根本を捨てて末節を願うようなものであり、これは如来を軽んじることに他なりません。

仏道を志す者は、必ず祖師の正しい伝統(正伝)の袈裟を受け継ぎなさい。

語句説明

  • 有量無量(うりょうむりょう): 有限であることと無限であること。袈裟の物理的な側面(定められた寸法)と、その持つ精神的な意味合い(無限の功徳)を指す。
  • 有相無相(うそうむそう): 姿形があることと姿形がないこと。袈裟の具体的な形と、形に捉われない仏法の真実を指す。
  • 参学(さんがく): 学び、研究すること。
  • 西天(さいてん): インドを指す。
  • 東地(とうじ): 中国を指す。
  • 正伝(しょうでん): 正しく伝えられること。ここでは仏祖から代々受け継がれてきた袈裟と法を指す。
  • 祖祖正伝(そそしょうでん): 祖師から祖師へと正しく受け継がれること。
  • 意楽(いぎょう): 願う、望むといった意味。
  • 如来(にょらい): 仏の尊称。釈迦牟尼仏のこと。
  • 軽忽(きょうこつ): 軽んじること、粗末に扱うこと。
  • 菩提心(ぼだいしん): 仏道を志す心のこと。

詳細な解説

形なき真実を映す袈裟:有量無量、有相無相の深意

袈裟は、その「体色量(形、色、大きさ)」について「有量無量、有相無相」と表現され、その真意を学ぶべきだと説かれています。
これは一見、非常に難解な言葉です。ある解釈では、袈裟には仏在世からの定められた寸法があるため「有量」であり、同時にその寸法は人や布の都合により無限であるため「無量」であるとされます。また、袈裟の形は長方形と定められていますが、それを着て修行する姿は一定しないため「無相」とも言われます。

しかし、単に物理的な意味合いだけでなく、袈裟は物であって物ではないという側面を持つとされています。袈裟は、人間が生まれながらにして持つ仏性の象徴であり、衣と共に生まれ、成長と共に大きくなり、出家すると袈裟となるという伝説もあるほどです。
つまり、袈裟は単なる衣類を超え、仏そのもの、仏法の真実そのものを象徴しているのです。このような深い意味を理解するためには、袈裟を物としてだけでなく、その背後にある仏法の本質を見抜く「参学(学び)」が必要とされます。

仏法を継ぐ証:正伝の袈裟の重み

正伝」の袈裟とは、釈迦牟尼仏から摩訶迦葉(まかかしょう)へと受け継がれ、達磨大師がインドから中国に伝え、さらに禅宗の祖師たちによって代々欠けることなく伝えられてきた「衣法(衣と法)」のことです。
この袈裟の「体色量(材料、色、形、大きさ)」や「着用、浣洗(せんたく)の作法」に至るまで、正しく伝えられてきたことが非常に重要視されています。

この「正伝」の袈裟を受け継がないことは、「真実を捨てて虚妄を求め、根本を捨てて末節を願う」行為であり、如来を軽んじる「愚痴」「不信」の極みであると厳しく批判されています。
道元禅師は、中国の律宗の祖である道宣(どうせん)が天人から教えられたとする袈裟の作り方を否定し、インドから伝えられた本来の作法こそが「正伝」であると主張しました。

禅師は、形から入ることの重要性を常に説いています。心を直接的に変えることは難しいですが、袈裟を身につけるという「形」を通じて、自然と内面が整い、仏道修行の姿勢が生まれると考えます。この「正伝」の袈裟をまとうことは、まさに仏の皮肉骨髄を正しく伝えることに他ならないのです。

袈裟がもたらす計り知れない功徳

袈裟は「解脱服」「福田衣」「仏身」「仏心」など、様々な尊い呼び名を持っています。袈裟を身につけること、あるいはその一部でも見るだけでも、計り知れない広大な功徳が得られるとされています。

例えば、『悲華経』では、釈尊が過去世で大悲菩薩であった時、宝蔵仏の前で「もし自分の法で出家し袈裟を着ける者が、たとえ重罪を犯しても、袈裟を敬う心があれば、必ず仏となる保証を得られなければ、私は仏の悟りを成就しない」と誓願したと語られます。これは、袈裟の授受が「成仏」への確かな保証となることを示しています。

また、たとえ冗談や自己の利益のために袈裟を身に着けたとしても、それは必ず「得道因縁(仏道を悟るきっかけ)」となるとさえ言われます。これは、袈裟が持つ「不可思議な神力」によるものであり、修行者の努力だけでなく、袈裟そのものが仏道の功徳を具足しているためであるとされます。


問いかけとまとめ

袈裟は、単なる衣類ではなく、仏法の真髄が凝縮された「生きた教え」であると言えるでしょう。その「有量無量、有相無相」の表現に象徴されるように、物質的な側面と、形を超えた精神的な意味合いを同時に持つ存在です。

現代を生きる私たちにとって、袈裟を身につける機会は少ないかもしれません。しかし、形を整えることが内面を育み、心を清めることにつながるという禅師の教えは、日々の生活にも通じる普遍的な示唆を与えてくれます。身だしなみを整える、言葉遣いを丁寧にする、といった「形」を意識することが、私たちの内面を豊かにする第一歩となるのではないでしょうか。

この記事を通して、袈裟が持つ深遠な意味と、その「正伝」がどれほど重いものであるかを感じていただけたなら幸いです。


クイズの答え

B. 袈裟が単なる物質的な衣類ではなく、仏法の真実そのものを象徴していること。

解説: 袈裟の「有量無量、有相無相」という表現は、物理的な寸法や形がある一方で、その本質が仏性や仏法そのものであり、計り知れない功徳や普遍的な真実を宿していることを示しています。
これは、袈裟が単なる布切れではなく、仏道における深遠な象徴であるという理解を促すものです。


この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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