袈裟はただの「布」ではない?不思議な衣に隠された仏法の真髄!

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:仏教において「袈裟は絹や布などではない」と説かれるのはなぜでしょう?

  1. 袈裟は特別な霊的素材で作られているから
  2. 袈裟が単なる物質を超えた仏法の象徴だから
  3. 高価な素材の使用を禁じているから

答えは記事の最後に!ぜひ最後まで読んで、その秘密に触れてみてください。


商那和修(ショウナワシュ)尊者は、第三の附法蔵なり。
うまるるときより衣と俱生(クショウ)せり。

この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。
また鮮白(センビャク)比丘尼、発願施氎(セジョウ)ののち、生生(ショウショウ)のところ、および中有、かならず衣と俱生せり。

今日釈迦牟尼仏にあふたてまつりて出家するとき、生得(ショウトク)の俗衣、すみやかに転じて袈裟となる、和修尊者におなじ。あきらかにしりぬ、袈裟は絹布等にあらざること。いはんや仏法の功徳よく身心諸法を転ずること、それかくのごとし。

現代語訳

商那和修尊者は、釈尊から第三代の正法を受け継いだ方です。この方は、生まれた時から衣を身に着けていました。その衣は、在家の時は普通の服でしたが、出家すると袈裟に変わりました。

また鮮白比丘尼は、前世に仏に衣を施すという誓いを立てて以来、生まれ変わる度に、そして生まれ変わる途中(中有)でも、必ず衣を身に着けていました。

そして今生で釈迦牟尼仏にお会いして出家すると、生まれつき持っていた俗衣が、すぐに袈裟に変わったのです。これは商那和修尊者と同じ事例です。

これらのことから、袈裟は絹や麻、綿といった布ではないということが、はっきりと分かります。まして、仏法の功徳が人の身心のすべてを変えていくことは、このように明らかです。

語句説明

  • 商那和修尊者(ショウナワシュソンジャ): 釈尊から第三代の正法を受け継いだ祖師。
  • 鮮白比丘尼(センビャクビクニ): 前世からの因縁により、生まれ変わる度に衣を身に着けていたとされる尼僧。
  • 俱生(クショウ): 生まれつき備わっていること。
  • 生得(ショウトク): 生まれながらにして得ていること。
  • 絹布(ケンプ): 絹、麻、綿といった植物繊維で織られた布。
  • 仏性(ブッショウ): すべての衆生が本来持っている仏となる可能性や本質。袈裟は人間が本具する仏性の象徴であると解説されている。

詳細な解説

袈裟にまつわる不思議な伝説

出典では、商那和修尊者と鮮白比丘尼という二人の伝説的な人物について語られています。彼らは生まれた時から衣を身につけており、その衣は、在家である間は俗服でしたが、出家すると自然と袈裟へと変化したと伝えられます。
この話は、一見すると現実離れした奇談のように思えるかもしれません。しかし、「正法眼蔵」の筆者である道元禅師は、この伝説を通して、袈裟の物質的な側面を超えた本質を私たちに示そうとしているのです。

この伝説は、「袈裟が絹や布などではない」という結論を導き出しています。つまり、袈裟の価値や本質は、それがどんな素材で織られているか、どのような形をしているかといった物理的な特徴にはない、ということです。
むしろ、袈裟は人間が本来備えている仏性の象徴であり、仏の教えそのものを表していると解釈されています。

袈裟は「仏法そのもの」

道元禅師は、「袈裟は諸仏の恭敬(くぎょう)帰依しましますところなり。仏身なり、仏心なり」と述べ、袈裟が仏の身体であり、仏の心そのものであると強調しています。これは、袈裟が単なる衣服ではなく、仏法という真理が象徴的に形を取ったものであるという深い意味合いを示唆しています。

修行者が袈裟を身につけることは、単に衣をまとう行為に留まりません。
それは、仏の教えに帰依し、自らの内にある仏性を顕現させる行いなのです。たとえ戯れに袈裟を着けたとしても、その行為自体が「三生に得道する」、すなわち仏道を悟る因縁となりうると説かれています。これは、袈裟の力が修行者の猛烈な精進(猛利恆修)によるものではなく、袈裟自体の功徳であることを強調しています。

「正伝」の袈裟がもたらす功徳

また、仏祖によって代々正しく伝えられてきた「正伝」の袈裟を身に着けることの重要性も説かれています。道元禅師は、自らが如浄禅師から受け継いだ袈裟こそが、釈尊から途切れることなく伝えられてきた正法の証であるという強い確信を持っていました。
この袈裟を受持し、敬い、護持する者は、諸仏の加護を受け、無上の悟りの功徳を円満させることができるとされます。

日本のような遠方の地に生まれ、末法の世に生きる私たちであっても、正しく伝えられた袈裟と法に出会えることは、計り知れない喜びであり、過去世の善根の賜物であると禅師は語っています。


まとめと問いかけ

袈裟は、その見た目や素材に惑わされることなく、仏法の深遠な功徳と仏性そのものを象徴するものであるということがお分かりいただけたでしょうか。袈裟を身につけること、あるいはその存在を敬うこと自体が、悟りへの大きな一歩となるのです。

あなたの日常生活の中で、形や外面に囚われず、物事の本質を見極めようとすることはありますか?

クイズの答え

B. 袈裟が単なる物質を超えた仏法の象徴だから

解説: 袈裟が絹や布などではないと説かれるのは、商那和修尊者や鮮白比丘尼の物語が示すように、袈裟の本質がその素材にあるのではなく、仏法そのもの、あるいは人が生まれながらに持つ仏性の象徴だからです。糞掃衣(ぼろ布で作った袈裟)が最上とされるのも、素材の価値ではなく、執着を離れた清浄な心がそこに宿るためです。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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合掌
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