直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
クイズ:袈裟が持つ、最も驚くべき功徳とは、次のうちどれでしょう?
- 着るだけで身体的な病気が全て治る
- たとえ悪事を重ねた者でも、袈裟を尊重すれば、いずれ悟りへの因縁となる
- どんなに古いぼろ布でも、袈裟にすれば新品のように生まれ変わる
それでは、本文に入っていきましょう。
原文の提示
「もし宿善(しゅくぜん)なきものは、一生二生、乃至(ないし)無量生(むりょうしょう)を経歴(きょうりゃく)すといふとも、袈裟(けさ)をみるべからず、袈裟を著(ぢゃく)すべからず、袈裟を信受(しんじゅ)すべからず、袈裟をあきらめしるべからず。
いま震旦国(しんたんこく)日本国(にほんこく)をみるに、袈裟をひとたび身体に著することうるものあり、えざるものあり、貴賤(きせん)によらず、愚智(ぐち)によらず。
はかりしりぬ、宿善によれりといふこと。」
現代語訳
「もし過去世に善い行い(宿善)のなかった者は、一生、二生、さらに無限の生を経たとしても、袈裟を見ることも、着ることも、信じて受け入れることも、その真の意味を明らかに知ることもないでしょう。
今の中国(震旦国)や日本国を見てみると、袈裟を一度でも身に着けることができる人もいれば、できない人もいます。それは、身分の高い低いにも、愚かであるか賢者であるかにも関係ありません。
推察するに、これはその人の過去世における善根(宿善)によるものなのです。」
語句説明
- 宿善(しゅくぜん):過去世に積んだ善行や善根のこと。今世の人生における縁や幸運は、過去世の善行の結果であるという仏教の考え方
- 乃至(ないし):~に至るまで、~までという意味。ここでは「無限の」という意味合いで使われる
- 無量生(むりょうしょう):数えきれないほどの長い時間、または無限の生まれ変わり
- 経歴(きょうりゃく):ここでは、時を過ごす、経験するという意味
- 著す(ぢゃくす):身に着ける、着用するという意味
- 信受(しんじゅ):信じて受け入れること
- 震旦国(しんたんこく):中国の異称
- 日本国(にほんこく):日本のこと
- 貴賤(きせん):身分の高い者と低い者
- 愚智(ぐち):愚かな者と智慧ある者
詳細な解説
「宿善」が導く仏法との出会い
道元禅師は、私たちが仏の教え、特に「袈裟」という形で象徴される正法に出会えるかどうかは、個人の身分や賢さに関わらず、「宿善」、すなわち過去世に積んだ善い行いによるものだと説いています。
現代に生きる私たちにとって、「宿善」という言葉は、少しばかり縁遠く感じるかもしれません。
しかし、なぜか心が惹かれるもの、自然と手にする本、偶然の出会いが、実は過去からの縁によって導かれているのかもしれない、と考えると、日々の何気ない出来事にも深い意味が感じられるのではないでしょうか。
禅師が活躍した鎌倉時代、日本はインドや中国から遠く離れた「辺地」であり、「末法」の時代(仏の教えが衰退する時代)とされていました。そのような状況で、正しい仏法に出会うことは非常に稀な幸運であり、それはまさに「宿善のたまもの」とされていたのです。
袈裟に秘められた計り知れない功徳
袈裟は単なる衣ではありません。
それは「仏身であり、仏心」とまで言われる、仏教における極めて重要な象徴です。この聖なる衣には、計り知れないほどの功徳が宿っていると説かれています。
例えば、袈裟を身に着けることは、恥を遠ざけ、自らを省みる心(慚愧)を具足させ、善い行いを修行する助けとなります。
また、暑さ寒さ、蚊や毒虫、悪獣から身を守り、心を安らかに保つ効用もあります。さらには、袈裟を身に着けた出家者の姿を見るだけで、人々の邪心が消え、喜びが生じるとも言われています。
最も注目すべきは、袈裟が持つ「仏道を悟る因縁(いんねん)」としての力です。
道元禅師は、たとえ僧侶や尼僧、在家信者が重い戒を犯したり、誤った考えを持っていたり、あるいは仏法僧の三宝を軽んじたり信じなかったとしても、ほんの少しでも敬いの心をもって袈裟を尊重するならば、将来仏となる予言を受けられ、修行の道から退転することがないと断言します。
さらに驚くべきは、たとえ戯れや自己の利益のために袈裟を身に着けたとしても、それが必ず仏道を悟る「因縁」となる、という教えです。これは、袈裟そのものに宿る不思議な力が、個人の意図や行動を超えて、悟りへの道を開く可能性を示唆しています。この功徳は「凡夫や賢人聖人には計り知ることのできない」神力とまで称されます。
禅師は、この教えを通じて、形式を重んじることの重要性を説きます。人は直接的に心を変えることが難しい場合でも、形から入ることで、内面が自然と整えられ、本質へと導かれることがある、と考えるのです。袈裟を身に着けるという「形」が、仏道を歩む上で強力な「護身符」となり、最終的には無上の悟りへと導いてくれるとされています。
正しく受け継がれる袈裟の伝統
道元禅師は、袈裟の功徳を最大限に得るためには、単に袈裟を身に着けるだけでなく、釈尊から歴代の祖師へと「嫡嫡(ちゃくちゃく)相承(そうじょう)」、つまり血筋のように正しく受け継がれてきた「正伝(しょうでん)の袈裟」を受け持つことが極めて重要だと強調しています。この「正伝の袈裟」は、インドから中国、そして日本へと、代々寸分違わず伝えられてきた仏法の真髄が込められたものです。
禅師は、当時の日本や中国の僧侶たちが、この正しい伝統を軽んじ、独自の袈裟を作っていたことを嘆きました。しかし、同時に、たとえ正伝の袈裟を受け継いでいない師から袈裟を受けたとしても、その功徳は甚大であるとも述べ、広く人々が袈裟を身に着けること自体を推奨しています。
問いかけとまとめ
この記事を通じて、「宿善」と「袈裟の功徳」という、仏教の深い教えに触れてきました。
私たちは皆、過去からの「因縁」によって今の人生を歩んでいます。もしあなたが仏教の教えや、日本の伝統文化に心を惹かれるのであれば、それはもしかしたら、あなた自身の「宿善」が呼び起こされているのかもしれません。
袈裟は、私たちが見たり触れたりできる「形」として存在しながら、その内には広大な「心」と「功徳」を秘めています。現代に生きる私たちも、目に見える形を大切にし、心を整えることの重要性を、この教えから学ぶことができるのではないでしょうか。
今日の学びが、あなたの心の旅の一助となれば幸いです。
クイズの答え
B. たとえ悪事を重ねた者でも、袈裟を尊重すれば、いずれ悟りへの因縁となる
解説: 袈裟を身に着けることや尊重することが、たとえ悪事を犯した者や戯れに身に着けた者であっても、将来的に仏道を悟るための決定的な因縁となると明確に説かれています。これは、袈裟が持つ普遍的で計り知れない功徳を示す、非常に重要な教えです。