袈裟(けさ)はただの服じゃない? 禅宗が伝える「真の衣」の力とは

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:袈裟は、たとえどのような理由で身につけられても、仏道修行においてどのような効果をもたらすとされていますか?

  1. 戒律を厳しく守る心が生まれる
  2. 最終的には悟りへの因縁となる
  3. 他者からの尊敬を集めることができる

原文

「梁陳随唐宋(リョウチンズイトウソウ)あひつたはれて数百歳のあひだ、大小両乗(ダイショウリョウジョウ)の学者、おほく講経(コウキョウ)の業(ゴウ)をなげすてて、究竟(クキョウ)にあらずとしりて、すすみて仏祖正伝(ブッソショウデン)の法を習学せんとするとき、かならず従来の弊衣(ヘイエ)を脱落して、仏祖正伝の袈裟を受持するなり。
まさしくこれ捨邪帰正(シャジャキショウ)なり。」

現代語訳

中国の梁(りょう)、陳(ちん)、隋(ずい)、唐(とう)、宋(そう)といった各王朝の数百年の間に、大乗仏教や小乗仏教の多くの学僧たちは、それまでの経典の講義が仏道の究極ではないと悟りました。

彼らは自ら進んで仏祖が正しく伝えてきた教えを学ぼうと決心した時、必ずそれまでに身につけていた破れたり古びた衣(従来の宗派の服)を脱ぎ捨てて、仏祖の正しい伝統を受け継ぐ袈裟を身につけたのです。

これはまさに、邪な教えを捨てて正しい教えに帰依したことを意味します。

語句説明

  • 梁、陳、隋、唐、宋: 中国の主要な王朝の時代区分。梁は502-557年、陳は557-589年、隋は581-618年、唐は618-907年、宋は960-1279年を指す
  • 大小両乗: 大乗仏教と小乗仏教のこと。仏教の二つの主要な教えの体系
  • 講経の業: 経典を講義したり研究したりする学問的な修行
  • 究竟: 仏道の究極の境地、最終的な悟り
  • 仏祖正伝の法: 釈迦牟尼仏から歴代の祖師たちへ、師から弟子へと正しく受け継がれてきた仏法の真髄
  • 弊衣: 破れたり古びたりした粗末な衣類。ここでは従来の宗派の教えや形式の象徴
  • 捨邪帰正: 邪な教えや道を捨て、正しい教えや道に帰依すること

解説

袈裟は単なる「服」ではない

袈裟は、ただの僧侶の制服ではありません。
それは「解脱服」(煩悩から解脱する服)、「福田衣」(福をもたらす衣)、「無相衣」(執着を離れた真実を表す衣)、「如来衣」(仏の衣)など、様々な尊称で呼ばれます。
これらの呼び名が示すように、袈裟は仏法の真髄そのものであり、身につけることで仏の身体、仏の心となるとされています。

正伝の系譜と袈裟の重要性

禅宗において、袈裟は釈迦牟尼仏から摩訶迦葉(まかかしょう)へと伝えられ、インドで28代、中国で6代、そして日本の祖師へと「嫡嫡面授(ちゃくちゃくめんじゅ)」、つまり師から弟子へと直接受け継がれてきた法統の証とされます。

この「正伝の袈裟」は、嵩岳(すうがく)の達磨大師が中国に伝え、慧能(えのう)禅師に至るまで、その形、色、大きさが親しく伝えられてきました。

禅師(道元)は、中国の他の師たちが自ら新しい袈裟を作ったことを批判し、インドから正しく伝えられた「正伝の袈裟」を身につけることこそが、仏道を志す者の正しい道であると説きました。
この袈裟は、たとえ平凡な師から受け継いだものであっても、その功徳は甚だ大きいとされています。

袈裟の素材と製法

「正伝の袈裟」は、その素材や製法にも独特の基準があります。

最も清浄な衣材は、人々が捨てたぼろ布を拾い集めて作った「糞掃衣(ふんぞうえ)」であるとされます。これは、牛が噛んだもの、鼠がかじったもの、火で焼けたもの、死人の服など、人が使わないものを再利用して作られます。

また、袈裟は青、黄、赤、黒、紫色に染められ、どの色も「壊色(えしき)」、つまりくすんだ色にすることが求められます。
これは、世間の人々が「立派だ」「豪華だ」と感じるようなものであってはならないという意図があります。さらに、袈裟は綻びないように「返し縫い」で縫われるべきだとされています。

袈裟には主に三種類があります。

  • 五条衣(ごじょうえ)
  • 七条衣(しちじょうえ)
  • 大衣(だいえ)(九条衣以上)

それぞれ、労務、修行、人前での教化など、場面に応じて使い分けられますが、その大きさは「丈が三肘、横が五肘」といったように細かく規定されています。

袈裟がもたらす絶大な功徳

袈裟を身につけることの功徳は計り知れません。

  • 悟りへの保証: たとえ戒を破ったり、多くの重罪を犯した僧や在家信者であっても、少しでも敬いの心をもって袈裟を尊重すれば、将来仏となる約束(記莂)を受け、修行から退転することはないと釈尊が誓願を立てています
  • 苦難からの救済: 飢えや渇きに苦しむ者、貧しい者、鬼神でさえも、袈裟の一部やわずかな切れ端を得れば、飲食に満たされ、願いが速やかに成就するとされます。また、争いや訴訟の最中に袈裟を心に念じれば、慈悲の心が生まれ、困難を乗り越えることができるとも説かれます
  • 仏道の増進: 袈裟を身につければ、悪しき行いが除かれ、十善業道(良い行い)が日々増していくとされます。煩悩の毒矢から身を守る甲冑のようなものとも例えられ、悟りの修行の種を植え、仏道の芽を成長させ、悟りの果実を結ばせる力を持つとされています
  • 形から入る実践: 禅師は、心が真実であれば姿形はどうでもよいという考えではなく、形がその姿を作り、内面を作り、本質を自ずと作っていくと捉えていました。袈裟を身につけること自体が、勇猛精進の力を生み出すと考えられていたのです
  • 深い因縁: 蓮華色比丘尼(優鉢羅華比丘尼)の物語では、彼女が遊女時代に戯れに袈裟を着けたことが、後に仏道を悟る決定的な因縁となったと説かれています。たとえ利欲のためや遊び半分で袈裟を身につけたとしても、それは必ず仏道を悟る因縁となるとされます。これは、袈裟に関心を持つこと自体が仏道への入り口となり、その「因縁」が修行者を導いていくという考え方です

日本での袈裟と禅師の思い

道元禅師の時代、日本はインドや中国から遠く離れた「末法の辺地」であると認識されていました。そのため、正しい袈裟の知識や着用法が失われ、剃髪して仏弟子と称しながらも袈裟を身につけない者や、その意義を知らない者が多いことを禅師は深く嘆きました。

しかし、それでも、自身が稀有な幸運にも「仏祖正伝の衣法」に巡り合えたことに深く感謝し、その袈裟と法を日本の衆生に伝えようという強い使命感を抱いていました。
禅師は、袈裟を「師の教えであり、尊い仏舎利の塔である」と見なし、毎日頭上にいただいて敬うよう教えました。
この袈裟の伝統を護り伝えることは、単なる形式ではなく、如来に直接出会い、説法を聞き、その光明に照らされ、仏の心を直接受け継ぐことに他ならないと述べています。


問いかけとまとめ

袈裟は、単なる一枚の布ではありません。そこには仏法の深遠な教えと、歴代の祖師たちの願い、そして修行の真髄が込められています。
私たちの日常生活において、形やしきたりは時に煩わしいものに感じられるかもしれません。しかし、禅師の教えは、形を整えることによって、内面が伴い、真の本質へと導かれるという、深い洞察を示しています。

あなたにとって、日々の生活の中にある「形」や「習慣」には、どのような意味が込められているでしょうか? そして、その「形」を大切にすることで、あなた自身の内面にどのような変化が生まれる可能性があると思いますか?


クイズの答え

答え: B. 最終的には悟りへの因縁となる

解説: 袈裟には計り知れない功徳があり、たとえ戯れや自己の利益のために身につけたとしても、それが仏道を悟るきっかけ(因縁)となるとされています。これは、袈裟という「形」が持つ、超越的な力と、仏法への関心が持つ無限の可能性を示しています。


この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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