ぼろ布から学ぶ!他人の「欠点」ではなく「長所」を見つめる仏教の智慧【道元禅師が説く心の作法】

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:袈裟を作るために拾う「糞掃衣」で、最も清浄な材料とされるのはどのような布でしょう?

  1. 施主が布施した、新しい清浄な布
  2. 大便や小便などで汚れた捨てられた布の中から、汚れていない部分を切り取ったもの
  3. 獣の毛を織った毳衣

原文

「諸賢、猶ほ阿練若比丘(アレンニャビク)の、糞掃衣を持するに、糞掃の中の所棄の弊衣、或いは大便に汙(ケガ)れ、或いは小便洟唾(イダ)、及び余の不浄に染汙(ゼンナ)せられたるを見、見已(ミオワ)りて左手に之を執り、右手に舒(ノ)べ張りて、若し大便 小便洟唾及び余の不浄に汙さるる処に非ず、又穿たざる者をば、便ち裂きて之を取るが如し。

是の如く諸賢、或いは一人有りて、身は不浄行に、口意は浄行ならんに、彼の身の不浄行を念ふこと莫れ、但だ当に彼の口意の浄行を念ふべし。

若し慧者見て、設し恚悩を生ずとも、応に是の如く除くべし。」
これ阿練若比丘の、拾糞掃衣の法なり。」


現代語訳

諸賢よ、これは、閑寂な場所で修行する僧(阿練若比丘)が、糞掃衣を作るために、掃き溜めに捨てられたボロ布を見つける様子に例えられます。

その布が、大便や小便、鼻水、唾、その他の汚物によって汚されていたとしても、修行僧はそれを左手で持ち、右手で広げます。そして、大便や小便、鼻水、唾などで汚れておらず、かつ破れていない清浄な部分だけを裂き取って、袈裟の布にするのです。

このように諸賢よ、仮にある人が、身体の行い(身)は不浄でも、言葉と心の行い(口意)は清浄である場合に、その人の身体の不浄な行いを気にしてはなりません。ただ、その人の言葉と心の清浄な行いに注目すべきです。

もし智慧ある者(慧者)が、そのような人を見て怒りや苦悩(恚悩)の心を起こしたとしても、このボロ布から清浄な部分を選び取るようにして、その怒りを除きなさい。
これが、閑寂処に住む僧の、糞掃衣にするぼろ布を拾い集める作法(の教え)です。


語句説明

  • 阿練若比丘(アレンニャビク):人里離れた静かな場所(阿練若)で修行する僧侶、特に精進する修行者を指す
  • 糞掃衣(フンゾウエ):人が捨てたぼろ布を拾い集めて作った衣。仏道修行者が着用する衣として、諸仏が「最上清浄」と賛嘆した最も尊い衣材である
  • 弊衣(ヘイエ):破れた衣服、ボロ布
  • 小便洟唾(イダ):小便、鼻水、唾液のこと
  • 口意の浄行(クイのジョウギョウ):言葉と心の行いが清浄であること。身体の行い(身行)と対比される
  • 慧者(エシャ):智慧のある者、賢者
  • 恚悩(イノウ):怒り、憎しみ、いらだちの心

詳細な解説

糞掃衣に見る「執着を捨てる」精神

仏教において袈裟(けさ)は、煩悩を断ち、悟りへ導く「解脱服」や「福田衣」(福の畑のような衣)などと呼ばれ、仏法そのものを象徴する最尊最上の功徳を持つものです。

中でも糞掃衣は、修行者が物質的な豊かさや世間の価値観から離れ、徹底した質素倹約の精神を体現するために選ばれました。糞掃(ぼろ布)には、牛に噛まれた服や死人の服、焼け焦げた服など、人が「不浄」として捨てて顧みないもの(十種の糞掃)が含まれています。

修行僧が汚物にまみれた布を丁寧に広げ、汚れていない部分や破れていない部分を選び取る行為は、単に材料集めのための現実的な作業であると同時に、「不浄なものの中にこそ、清浄な宝を見出す」という仏教の根本的な思想の表れです。この行為自体が、執着を捨て、物事の本質を見抜く修行となります。

人の善き部分に光を当てる智慧

この糞掃衣の拾い方の教えは、他者との関わり方、特に他者の欠点に直面した際の心構えへと深く繋がります。

私たちがもし、行動は粗暴(身は不浄行)でも、言葉や心は真面目で清浄(口意は浄行)な人に出会ったとしましょう。その人の不浄な行動に怒りを感じる「智慧ある者」(慧者)であっても、その怒りを静めるべきだと説かれます。

怒りを除く方法は、「不浄な布の汚れていない部分を裂き取る」行為を応用することです。すなわち、その人の身の不浄な行いは心に留めず、「但だ当に彼の口意の浄行を念ふべし」(ただ彼の言葉や心の清浄な行いを思いなさい)と教えられます。

これは、欠点を通して全体を判断するのではなく、その人の中に宿る清浄な光(仏性)を見つけ出し、評価せよという強いメッセージです。どんなに汚れた布であっても、使える部分があるように、人間も不完全であっても、必ず良き部分を持っているはずです。

この教えは、修行者の勇猛精進の力によるものではなく、袈裟そのものが持つ不思議な神力によるものだとされます。袈裟を身に着ける、あるいはその教えを実践する(袈裟を念じる)ことによって、慈悲や柔軟な心が生まれ、悪を制する善い心が育まれるのです。


まとめ

仏道では、たとえ戯れに袈裟を着けただけでも、三生(三つの転生)の後には悟りを得る因縁になると説かれます。まして、清浄な信心をもって袈裟の精神を護持すれば、その功徳は計り知れません。

この「糞掃衣の拾い方の智慧」は、私たちにとって、自己や他者の不完全さを受け入れ、その中の「宝」を見出す訓練となります。

私たちは、誰かに対して不満や怒り(恚悩)を感じたとき、無意識に相手の欠点という「汚れた部分」を凝視してしまっています。

阿練若比丘が汚い布の中から袈裟にふさわしい清浄な一片を抜き取るように、あなたも今日から、身の不浄行ではなく、口意の浄行に焦点を当てる禅の智慧を、日々の生活に取り入れてみませんか。それが、煩悩の毒矢を遠ざける堅固な「甲冑」(袈裟の功徳の一つ)となり、人間関係の争いを静め、平和な心を取り戻す道へと繋がるはずです。


クイズの答え

B. 大便や小便などで汚れた捨てられた布の中から、汚れていない部分を切り取ったもの

解説:
諸仏が最上清浄と讃嘆した糞掃衣(ふんぞうえ)は、元来、人が捨てたボロ布を材料とします。修行僧は、大便や小便などで汚れた布の中から、汚れていない、破れていない清浄な部分だけを裂き取って、袈裟を作る布(浄財)としたのです。これは、世俗的な価値や清浄/不浄の区別を超越した、質素な仏道を象徴する行為です。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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合掌
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