直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。
クイズ:お釈迦様が説かれた「袈裟の十勝利」において、袈裟の功徳の源は主に何によるものだとされていますか?
- 袈裟を着用する修行者自身の猛烈な修行の力
- 袈裟そのものが具えている不思議な神力
- 袈裟を寄進した檀那(施主)の善行
原文
爾時(ソノトキ)に世尊、而(シカ)も偈を説いて言(ノタマ)はく、
「智光比丘、応に善く聴くべし、大福田衣に十勝利あり。世間の衣服(エブク)は欲染(ヨクセン)を増す、如来の法服は是の如くならず。
法服は能く世の羞恥を遮り、慚愧円満して福田を生(ナ)す。
寒暑及び毒蟲を遠離し、道心堅固にして究竟(クキョウ)を得。
出家を示現(ジゲン)して貪欲(トンヨク)を離れ、五見を断除して正しく修行す。袈裟 宝幢(ホウドウ)の相を瞻礼(センレイ)し、恭敬(クギョウ)すれば梵王の福を生ず。
仏子披衣(ヒエ)しては塔想を生ずべし、福を生じ罪を滅し人天(ニンデン)を感ず。粛容致敬(チキョウ)すれば真の沙門なり、所為諸の塵俗に不染なり。
諸仏称讃して良田と為し、群生(グンジョウ)を利楽(リラク)するに此れを最(スグ)れたりと為す。袈裟の神力(ジンリキ)は不思議なり、能く菩提(ボダイ)の行(ギョウ)を修植(シュジキ)せしむ。
道芽(ドウゲ)増長すること春苗(シュンビョウ)の如く、菩提の妙果は秋の実(コノミ)に類す。堅固金剛の真甲冑なり、煩悩の毒箭(ドクセン)も害すること能はず。」
現代語訳と背景
その時に釈尊は、袈裟の功徳を詩にして智光という名の僧に説かれました。
「僧の智光よ、よく聴きなさい。大きな福の収穫を与える田にも譬えられる袈裟には、十の優れた利益(十勝利)がある。世間の衣服は欲の汚れを増すものだが、如来の袈裟には、このようなことはない。
袈裟は、世間の恥ずべき行いを遮り、慚愧の心を満たして福を生み出す田となる。暑さ寒さや毒虫を遠ざけ、道を求める心を堅固にして究極の悟りを得させる。袈裟は出家の姿を現わし、貪欲を離れ、五つの誤った見解を断ち除いて正しく修行できるようにする。
袈裟という宝の旗印を仰ぎ見て礼拝し敬えば、梵天王に生まれるほどの福が生まれる。仏弟子は袈裟を身に着けたならば、これを仏の塔(仏舎利塔)であると思いなさい。そうすれば福を生み罪を滅し、人間界や天上界を感化することができる。
袈裟を心から敬う人は真の出家(沙門)であり、その人は様々な世俗の塵に染まることはない。諸仏は、袈裟を褒めたたえて福の収穫を与える良田であると言い、人々に利益と楽を与えるにはこれが最上であると定める。
袈裟の神力(じんりき)は不思議であり、よく悟りの修行の種を植える。仏道の芽は春の苗のように成長し、悟りの果実は秋の実りのように実を結ぶ。袈裟はまことに堅固な金剛(ダイヤモンド)の甲冑であり、煩悩の毒矢も害することはできない」。
この偈文は、袈裟の功徳が、ただ修行者の努力のみならず、袈裟そのものが具える不思議な力に由来することを強調しています。
語句説明
- 十勝利(ジュッショウリ):袈裟を身に着けることで得られる十の優れた利益
- 福田衣(フクデンエ):福を生み出す田に喩えられる衣のこと。袈裟は良田(良い田んぼ)として称讃され、群生を利楽するに最も優れている
- 欲染(ヨクセン):欲による煩悩や汚れ
- 慚愧(ザンギ):自らの罪悪を恥じ、恐れる心
- 五見(ゴケン):五種の悪しき見解(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)
- 宝幢(ホウドウ):宝(仏法)の旗印。袈裟をこれに喩える
- 塔想(トウソウ):仏弟子は袈裟を身に着けるとき、これを仏舎利の塔であると思いなさい、という教え
- 菩提(ボダイ):仏の悟り。真理を覚知すること
- 煩悩の毒箭(ドクセン):煩悩を射る毒矢に喩えている
詳細な解説:袈裟が持つ三つの役割
「袈裟の十勝利」は、袈裟が仏道修行においていかに根本的で絶大な役割を果たすかを説いています。その役割は、大きく分けて三つに集約できます。
1. 内面の修行を助ける「道心の鎧」
袈裟は、修行者の内面を清浄に保つ助けとなります。世間の衣服が欲望や執着を増すのに対し、如来の法服は「欲染を増さない」特別な性質を持ちます。袈裟を身に着けることで、恥を知る心(慚愧)が満たされ、悪しき行いが遮られます。
また、袈裟は「寒暑及び毒蟲を遠離」させ、修行の邪魔となる外的要因から身を守る、現実的な効用も指摘されています。これにより「道心堅固にして究竟を得」、道への意志を強くし、最終的な悟りへと向かうことができます。偈文の最後にあるように、袈裟はまさに「堅固金剛の真甲冑(しんかっちゅう)」であり、煩悩という毒矢から修行者を護るのです。
2. 仏法を体現する「宝の旗印」
袈裟は、仏弟子であることの「標幟(ひょうし)」(目印)そのものです。袈裟を着用することは「出家を示現」し、それを見る人々は歓喜して邪心を遠ざける(邪心が無くなる)とされます。
袈裟を敬い礼拝するだけで、梵天王(梵天界)に生まれるほどの福が生じます。袈裟は人間界や天上界にとって「宝幢」、すなわち仏法の勝利を示す旗印であるためです。さらに、仏弟子は袈裟を身に着けた時、それを仏の塔(仏舎利塔)であると見なすべきである、とも説かれています。この敬いの心によって、福を生み、罪を滅し、人間や天上の衆生を感化することができるのです。
3. 悟りの種を育む「良田」としての力
最も重要な功徳の一つが、袈裟が「良田」に喩えられる点です。田んぼに種を蒔けば作物が育つように、袈裟を身に着けることは、菩薩の道(悟りへ向かう修行)を増長させる土台となります。
「袈裟の神力は不思議なり」とあるように、この功徳は修行者自身の力量だけでなく、袈裟そのものが具える霊的な力(神力)によるものです。袈裟を身に着けることで、「菩提の行(悟りのための修行)の種を植える」ことになり、「道芽(仏道の芽)が春の苗のように増長」し、やがて「菩提の妙果(悟りの果実)が秋の実りのように実を結ぶ」と表現されています。
これは、たとえ戯れや自己の利益のために袈裟を身に着けたとしても、必ず仏道を悟る因縁となる、という教えにも通じます。袈裟を護持することは、最上かつ最も優れた功徳であり、その功徳は広大で計り知れないものなのです。
問いかけとまとめ
袈裟の十勝利は、私たちが普段目にする僧侶の衣に、かくも広大な功徳と仏法の真髄が込められていることを教えてくれます。この「法服」は、自らを護り、清らかな心を満たし、悟りへの道を確実に歩ませる究極のシンボルなのです。
私たちは辺境の地(日本)に生まれながらも、この尊い仏法に巡り会うことができたのは、過去世に植えた善根のお蔭であるとされています。この袈裟の教えを知った今、あなたにとって「袈裟」とは、どのような存在として心に映るでしょうか。
袈裟の教えは、形(外観)を整えることが、やがて本質(内面)を伴うという、仏道の深い真理を体現しています。たとえ在家の信者であっても、袈裟の功徳を信じ、敬う心を持つことは、私たちが真実の仏道を学ぶための確かな帰依先となるのです。
クイズの答えと解説
答え:B. 袈裟そのものが具えている不思議な神力
解説:
お釈迦様は「この勝利は、ただ袈裟の功徳なり、行者の猛利恆修(もうりごうしゅう:勇猛精進の修行)のちからにあらず」と説かれました。また、「袈裟の神力は不思議なり」とも述べられています。もちろん修行は不可欠ですが、袈裟の功徳は、修行者の力に頼るだけでなく、袈裟自体が持つ超越的な力によってもたらされると強調されている点が特徴です。袈裟は、着用する者の意志を超えて、悟りの道への確実な護身符となるのです。

