袈裟の力は無限大!悪人や破戒僧でも救われる?「正法眼蔵」に学ぶ驚くべき袈裟の功徳

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ:袈裟を「戯れ」で着ただけでも、仏道を悟る(得道)ための因縁になると説かれています。その功徳によって、何回生まれ変わるうちに得道すると記されているでしょうか?

  1. 一生のうち
  2. 三生(三回生まれ変わる)のうち
  3. 十生(十回生まれ変わる)のうち

原文の提示

まことにそれ、ただ作悪人(サアクニン)とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでて、また作悪人となる。

戒の因縁あるときは、禁戒を破(ハ)して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。

いま戯笑(ケショウ)のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために、清浄(ショウジョウ)の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。
いかにいはんや一生のあひだ受持したてまつり、頂戴たてまつらん功徳、まさに広大無量なるべし。


現代語訳

(この尼僧は)実のところ、ひたすら悪をなす人(作悪人)であった時には、空しく死んでは地獄に入り、地獄から出てもまた悪をなす人となっていました。

しかし、一度出家受戒(戒)の因縁があれば、たとえ禁戒を破って地獄に堕ちたとしても、最終的には道を悟る(得道)因縁となるのです。

このように、たとえ戯れ(戯笑)のために袈裟を着けただけでも、次の次の生(三生)には道を悟ることができます。まして、この上ない仏の悟り(無上菩提)のために、清浄な信心を起こして袈裟を着たならば、その功徳が成就しないことがどうしてありましょうか。
さらに、一生涯にわたり袈裟を護持し(受持)、頭上に頂いて敬う(頂戴)功徳は、まさに広大で計り知れないものとなるでしょう。


語句説明

  • 作悪人(サアクニン):ひたすら悪事をなす者
  • 戒の因縁:出家して戒律を受けたことによるきっかけ
  • 得道(トクドウ):仏道を悟ること、阿羅漢道や無上菩提といった悟りを得ること
  • 戯笑(ケショウ):戯れ、ふざけ
  • 無上菩提(ムジョウボダイ):この上なく優れた仏の悟り
  • 清浄(ショウジョウ):けがれがなく清いこと
  • 受持(ジュジ):受け取って護り保つこと
  • 頂戴(チョウダイ):頭の上にいただくこと、最高の敬意を払うこと

詳細な解説:悪業を覆い尽くす袈裟の「神力」

悪の輪廻を断ち切る「袈裟の因縁」

この原文は、龍樹(りゅうじゅ)祖師の言葉を引用した優鉢羅華(優鉢羅華比丘尼/蓮華色比丘尼)の本生経(前世の物語)に関連する教えです。彼女は、前世で遊女として生計を立て、ひたすら悪をなす作悪人であり、死んでは地獄と悪の世界をさまよっていました。

しかし、ある時、彼女が戯れに尼僧の衣(袈裟)を身に着けたという、わずかな「因縁」を植えました。この一見軽々しい行為が、後の世で迦葉仏の法に会って尼僧となるきっかけ(戒の因縁)となり、最終的に釈迦牟尼仏の時代に六種の神通力と大阿羅漢の悟りを得る原因となりました。

彼女は尼僧となってからも、高貴な生まれと美しさから慢心して戒律を破り、地獄に堕ちるという過ちを犯しましたが、一度受けた「戒の因縁」があったため、地獄の報いが終わると、再び仏道に戻り、最終的な悟り(道果)を得ることができたのです。

袈裟は仏法そのものを現す

袈裟の功徳が偉大であるのは、それが単なる衣類ではないからです。袈裟は、「仏身であり、仏心である」と称され、煩悩を断ち切る「解脱服」や福を生む「福田衣」など、多くの優れた意味を持ちます。

この袈裟は、過去・現在・未来のすべての仏(三世諸仏)が身に着けてきた仏の衣であり、その功徳は修行者の勇猛な修行の力(猛利恆修)によるものではなく、袈裟自身が具えている不思議な神力によるものだと説かれています。袈裟を身に着けるという「形」は、そのまま仏の教えの真髄(正法眼蔵)を伝えることとなり、着用する者自身に無上菩提を成就する護身符としての力を与えるのです。

恭敬と護持の功徳

ましてや、戯れではなく、無上菩提を求める清浄な信心を持って袈裟を着用するならば、その功徳は必ず成就するとされています。袈裟を、師(師想)や仏舎利の塔(塔想)のように敬い、一生涯にわたり大切に護持し、頭上に頂いて敬う(頂戴)その行いは、広大無量の功徳を生み出します。これは、私たちが如来の皮肉骨髄を正しく伝えている者(法子法孫)となることと同義なのです。

袈裟を身にまとうという行いは、凡夫の狭い考え(局量)を超え、私たちが生まれながらに備えている仏性が顕現するきっかけとなります。たとえ愚かな我々であっても、諸仏の不変の法(常法)は私たちにも分相応の利益を与えてくれるのです。


問いかけとまとめ

袈裟の功徳に関する教えは、私たちに「仏道への入口は、心持ち一つで大きく開かれている」ことを示唆しています。過去にどんな悪業を積んでいようとも、一度でも仏の教えの象徴である袈裟に触れる因縁があれば、やがて悟りの道へと導かれます。

これは、内面的な悟りや善行の積み重ねだけでなく、仏教の伝統的な「形」を尊重し、身につける行為そのものに、計り知れない力が宿っているという、深く現実的な教えです。仏道を志すならば、「この良き世に出会って、仏になる種を植えないことは悲しいこと」なのです。

袈裟を敬い、護持するその「形」の行いが、やがてあなたの内面を清浄な信心へと導き、広大無量の福徳を成就させるでしょう。


クイズの答え

B. 三生(三回生まれ変わる)のうち

解説:
袈裟を「戯笑(けしょう)」のために着た優鉢羅華比丘尼は、その功徳により三生後に大阿羅漢の悟りを得ました。これは、清浄な信心がなくとも、袈裟という仏の衣の功徳がいかに偉大であるかを示す、道元禅師が示す教えの確かな証拠なのです。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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