破戒してもOK?地獄行きも辞さない「出家」の驚くべき功徳

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

クイズ: 優鉢羅華比丘尼が貴婦人たちに「戒を破っても出家すべき」と勧めたのは、主に何が功徳となるためですか?

  1. 厳しい修行の経験
  2. 袈裟を身に着ける「因縁」
  3. 地獄に堕ちる体験自体

原文

龍樹(リュウジュ)祖師曰く、 「復た次に仏法の中の出家人は、破戒して堕罪すと雖も、罪畢(オワ)って解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生経(ウバツラゲビクニホンショウキョウ)の中に説くが如し。

仏在世の時、此の比丘尼、六神通(ロクジンヅウ)阿羅漢を得たり。貴人(キニン)の舎(イエ)に入りて、常に出家の法を讃(ホ)めて、諸(モロモロ)の貴人婦女(ブニョ)に語りて言(イワ)く、「姉妹出家すべし。」

諸の貴婦女の言く、「我等少(ワカ)くして容(カタチ)盛美なり、持戒を難しと為す、或いは当(マサ)に破戒すべし。」  比丘尼言く、「戒を破らば便ち破るべし、但だ出家すべし。」

問ふて言く、「戒を破らば当に地獄に堕すべし、云何(イカン)が破るべき。」  答へて言く、「地獄に堕さば便ち堕すべし。」

諸の貴婦女、之を笑て言く、「地獄にては罪を受く、云何が堕すべき。」


現代語訳

龍樹祖師(インド仏教の祖師)が言うには、仏法の中で一度出家した人は、たとえ戒律を破って罪に堕ちたとしても、その罪の報いが終われば、必ず解脱(悟り)を得ることができます。これは、優鉢羅華比丘尼の前世の物語に説かれている通りです。

釈尊が世にいた頃、この比丘尼は六種の神通力と阿羅漢の悟りを得ていました。彼女は貴人の家を訪れては、出家の道を褒め称え、貴婦人たちに「姉妹よ、出家しなさい」と熱心に勧めました。

貴婦人たちは、「私たちはまだ若く姿も美しいので、戒律を守るのは難しいでしょう。きっと破戒してしまうに違いありません」と返しました。

すると比丘尼は、「戒を破るのなら、破ればいいのです。とにかく出家しなさい」と言い放ちました。

貴婦人たちはさらに尋ねます。「戒を破れば地獄に堕ちるはずです。どうして破っていいと言えるのですか」。

比丘尼は答えました。「地獄に堕ちるのなら、堕ちればいいのです」。

これを聞いた貴婦人たちは、あきれて笑いながら言いました。「地獄では罰を受けるのに、どうして堕ちてもいいなどと言えるのでしょう」。


語句説明

  • 龍樹祖師(リュウジュそし):仏教における重要な祖師で、第二十一代の祖師とされる。ここで引用されている話は『大智度論(だいちどろん)』にある
  • 優鉢羅華比丘尼(ウバツラゲビクニ):釈尊在世時の尼僧。蓮華色比丘尼とも呼ばれ、六神通阿羅漢の悟りを得た聖者
  • 破戒(ハカイ):仏道修行者が守るべき戒律を破ること
  • 六神通(ロクジンヅウ):仏道修行によって得られる六種の超人的な能力(神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏尽通)
  • 阿羅漢(アラカン):煩悩を断ち切り、悟りを得た聖者の位
  • 解脱(ゲダツ):煩悩からの解放、悟りを得て自由になること

詳細な解説

袈裟を戯れに着た功徳:得道の「因縁」

この優鉢羅華比丘尼の物語は、一見すると「戒律軽視」の極端な教えに見えますが、その根底には、仏道修行の入り口(出家・受戒)そのものが持つ絶対的な功徳を説く目的があります。

比丘尼が、地獄に堕ちても良いとまで言い切ったのは、彼女自身の壮絶な過去の経験に基づいています。比丘尼は、自分の前世を思い起こすと、かつて遊女であった時に、尼僧の衣(袈裟)を着てふざけたことがあったといいます。

この「戯笑(けしょう)のため」に袈裟を身に着けたというたった一つの行為が「因縁」となり、彼女は次の生に迦葉仏(釈尊以前の仏)の教えに出会い比丘尼となりました。

しかし、その生では自身の高貴な生まれと美しさに慢心して禁戒を破り、その罪によって地獄に堕ちて様々な罰を受けました。

そして、その地獄での罰を受け終わった後、釈迦牟尼仏に出会い、出家して六神通阿羅漢の悟り(聖者の道)を得ることができたのです。

戒の因縁の絶対性

ここで重要なのは、彼女が「出家受戒の因縁」を持っていたことです。

  • もし、ただ悪事のみを重ね、戒を受ける因縁が全く無ければ、死しては地獄に入り、地獄から出てもまた悪人となり、道を得ることはありません。
  • しかし、一度でも「戒の因縁」があれば、たとえ禁戒を破って地獄に堕ちたとしても、罪の報いが終われば、必ず悟りの道(道果)を得ることができるのです。

戯れに袈裟を着けただけの功徳でさえ、第三生(次の次の生)には得道に至るのですから、清浄な信心をもって袈裟を身に着け、一生護持する功徳は、いかに広大無量であるかはかり知れません。

袈裟は「護身の札」

袈裟(僧衣)は、単なる衣類ではありません。袈裟は、諸仏の恭敬帰依するところであり、仏の身体であり、仏の心であるとされます。この衣は「解脱服」(煩悩から解脱させる服)や「福田衣」(福の収穫を与える田に譬えられる衣)とも呼ばれます。

袈裟を身に着ける功徳は、修行者自身の勇猛精進の力(猛利恆修のちから)によるのではなく、袈裟そのものが持つ「神力」によるものだと説かれます。この力は凡夫や賢者には計り知ることができません。

袈裟を一度でも身体にまとい、ほんのわずかな間でも護持すれば、それは必ず無上の悟りを成就する「護身の札」となるのです。

この物語は、仏道への第一歩、すなわち出家や受戒(そしてその象徴としての袈裟の受持)が、どれほど計り知れない救済の力を持っているかを、地獄という極端な例をもって示しているのです。


問いかけやまとめ

龍樹祖師と優鉢羅華比丘尼の対話は、私たちに、行為の善悪よりも、まず「仏道という良き因縁」を持つことの重要性を教えてくれます。

袈裟を身に着けること(仏道に触れること)は、一時的な罪や失敗を超えて、永遠に続く幸福の種を蒔く行為です。私たちは「南洲の人身」に生まれ、釈尊の教えに会うという二重の幸運に恵まれているのですから、仏道への関心や信心を「宿善(過去世の善根)」として喜び、この機会を逃さず、仏法を学び護持することに励むべきでしょう。

あなたが今、仏教の教えに触れようとしているその心こそが、すでに広大な功徳の始まりなのかもしれません。


クイズの答え

B. 袈裟を身に着ける「因縁」

解説: 優鉢羅華比丘尼が聖者の道を得たのは、前世で遊女であったとき、戯れに尼僧の衣(袈裟)を着たという、わずかではあるものの清浄な「因縁」があったためです。この因縁(仏道に触れたきっかけ)が、たとえ破戒の罪による地獄の報いを経た後であっても、彼女を最終的な解脱へと導いたのです。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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