袈裟の素材、絹か布か?道元禅師が説く「糞掃衣」の真意とは

直七法衣店4代目ナオシチです。今日もみんなで袈裟功徳について学んでいきましょう。
3択クイズにチャレンジ!答えは最後に。

道元禅師が袈裟の素材について最も重視したとされる考えは、次のうちどれでしょう?

  1. 仏の加護を受けた特別な布
  2. 施主から施された最も上質な絹
  3. 素材そのものに執着せず、ボロ布として用いる心

原文

小乗教師また化絲(ケシ)の説あり。
よるところなかるべし、大乗人わらふべし、いづれか化絲にあらざらん。なんぢ化をきくみみを信ずとも、化をみる目をうたがふ。

しるべし、糞掃をひろふなかに、絹に相似なる布あらん、布に相似なる絹あらん。
土俗万差(バンシャ)にして、造化はかりがたし、肉眼(ニクゲン)のよくしるところにあらず。

かくのごとくのものをえたらん、絹布と論ずべからず、糞掃と称すべし。


現代語訳

小乗の師の中には化糸の説(絹糸は蚕の繭から作られたものであるから、絹糸を使用することは殺生に当たらないという意見)を説く者があります。
これは根拠のない考えです。大乗の人は笑うことでしょう。どのような糸が、生物から作られたものでないと言えましょうか。そのように言う者は、その説を聞いて信じても、その説を見る目は疑わしいものです。

知ることです、拾った糞掃(ぼろは布)の中には、絹に似ている布があるだろうし、麻や綿に似ている絹もあることでしょう。

土地の風俗は様々であって、その作り方は推量し難く、肉眼ではよく知ることが出来ません。
これらのものを得たならば、それが絹か麻や綿であるかを問題にしてはなりません。これらを糞掃と呼ぶようにしなさい。

語句説明

  • 化絲(ケシ): 絹糸は蚕ではなく、桑の木の樹神が人のために吐き出したものだから使用してよいという説。
  • 小乗教師(ショウジョウキョウシ): 大乗仏教から見て、自己の解脱を主とする仏教(初期仏教など)の師。
  • 大乗人(ダイジョウニン): 大乗仏教を信じる者。
  • 糞掃(フンゾウ): 捨てられたボロ布のこと。排泄物の意味ではなく「はらい除く」の意味。
  • 造化(ゾウカ): 自然の成り行き、天地を創造し育む働き。
  • 肉眼(ニクゲン): 人間の通常の視覚。
  • 絹布(ケンフ): 絹と麻や綿などの植物繊維で織った布。

解説

袈裟の素材に関する道元禅師の問いかけ

当時、袈裟の素材については、「絹は蚕の命を絶って作るため、殺生にあたる」として使用を避けるべきだという考えがありました。これに対し、一部の小乗の師は「化絲の説」を唱え、「絹は樹神が吐き出したものであり、殺生ではない」と主張しました。

しかし、道元禅師はこれを「根拠のない考え」と一蹴します。彼は、「どのような糸が生物から作られたものでないと言えようか」と問いかけ、すべてのものが「化」の産物であるという視点から、特定の素材だけを問題視することの無意味さを指摘したのです。

「糞掃衣」に込められた深い意味

道元禅師が重視したのは、素材の起源や世俗的な価値ではありませんでした。彼は、「拾った糞掃(ボロ布)の中には、絹に似た布もあれば、麻や綿に似た絹もあるだろう」と述べ、それが何から作られたかという人間の恣意的な思量を捨てることの重要性を説きました。

つまり、絹か布か、金銀珠玉か、といった見方を捨てて、ただ「糞掃」と称することこそが、袈裟の本質を理解する道であると説いたのです。

袈裟が「糞掃衣」と呼ばれるのは、単に粗末な布を使うという意味だけではありません。それは、世間の価値観や執着から離れ、絶対の真実を象徴する衣となることを意味します。
たとえ高価な布であっても、一度仏法のために用いられれば、それは世俗的な名前を失い、ただ「糞掃衣」として存在するのです。

仏道の奥深い教えとしての袈裟

この深い教えは、ある僧が六祖慧能禅師に「黄梅山で伝えられた袈裟は布か絹か、結局何だったのか」と尋ねたエピソードによく表れています。
六祖は「それは麻や綿でもなく、絹でもない」と答えました。これは、袈裟が単なる物質的な衣類ではなく、仏道そのものを体現するものであるという玄妙な真理を示唆しています。

袈裟を身につけることは、単に僧侶の姿形を整えるだけでなく、その人の心、ひいては存在そのものを変容させる力があるとされます。
道元禅師は、形を整えることが内面を作り、本質を自ずと作っていくという「形から入る」ことの重要性を説きました。

この袈裟の功徳は、修行者の勇猛精進の力によるものではなく、袈裟自身の持つ不思議な神力であるとも語られています。

問いかけとまとめ

袈裟の素材に関する道元禅師の教えは、私たちに、物事の表面的な価値や世俗的な見方に囚われず、その本質を見極めることの重要性を教えてくれます。日常の中で、私たちはどれほど多くの「絹か布か」といった区別にこだわっているでしょうか?
あなたにとっての「糞掃衣」とは何でしょうか?物質的なものに惑わされず、その真の価値を見出すこと。これこそが、道元禅師が袈裟を通して私たちに伝えたかったメッセージなのかもしれません。


クイズの答え

C. 素材そのものに執着せず、ボロ布として用いる心

解説: 道元禅師は、絹か布かといった素材の違いにこだわるのではなく、いかなる素材であっても世俗的な価値観を捨て去り、ただ仏法のために用いる「糞掃」という心こそが重要だと説きました。
これは、袈裟が単なる衣類ではなく、仏道の真髄を象徴するものであるという深い教えに基づいています。

この記事を書いた人

直七法衣店 四代目 川勝顕悟


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